永平寺2017年 十月

 
 
永平寺
金沢 金沢
九月七日  県庁が建っている城跡・堀と石垣  



 
 わが家の菩提寺の本山が福井の永平寺なので、舅、姑  の分骨を納めたように、夫の分骨も納骨しなければなるま いということで、出かけることにしたのです。以前は日本海 沿岸の羽越本線に、夜行の寝台列車があって、それを利 用出来たのですが、新幹線網が進歩して、無くなってしま い、東北新幹線で大宮へ行き、北陸新幹線で金沢へ行き また乗り換えて福井に行くという複雑なことになりました。 長男の妻と小学校六年生の孫を同行しました。
 ホテルは連休のため満室でした。ホテルの前が旧h苡驕@の城跡とお堀です。何と今はh芟ァ庁が建っていました。

九月七日 柴田勝家・お市の方の悲劇  



 
 歴史に疎い私でも 柴田勝家、お市の方の悲運 を知って いました。織田信長の妹でありながら政略的に浅井長政  に嫁ぎ、茶々、初、江の三人の娘を得ながら、夫が兄の  信長に滅ばされ、娘達と共に柴田勝家に嫁がされ、ま   た信長に攻められて、勝家と共に自害。娘達三人は豊臣  秀吉にと言う有様。
 茶々と秀吉の子秀頼は豊臣家の跡継ぎとなったが、大阪 夏の陣で滅亡・・・・。なんてドラマティックな!
 

柴田勝家と言う武将  



   夕方になってしまい、h艪フ町を見て回るには残念な時  間でした。タクシーのドライバーに尋ねたら、柴田勝家とお 市の方の最期を遂げた北之庄城はこの銅像が坐ってい  て城跡だったという石垣が少し残っで柴田神社があるだけ であった。北之庄城は織田信長から49万石を与えられた
 勝家が歳月をかけて築いたのだそうですが、お市の方と
 お市の方の浅井長政との間に生まれた三人の娘を信長  方に渡して、一族と共に城に火を放ち、壮絶な最期を遂げ たと言う事になっています。
 お市の方は信長の妹なのに、浅井長政との結婚について も、柴田勝家との再婚についても、その後のお市の方の娘 達三人の運命も考えるとまことに切ないものがあります。
グリフィス館  



 
 夕闇が迫る頃になっていました。ドライバーが気の毒がっ て、珍しいところに案内しますと言って連れていってくれた  のが、このグリフィス館でした。
 明治初期・廃藩置県の混乱の時期に福井藩の教師として 活躍した米国人ウィリアム・エリオット・グリフィスのために
 造った洋館。火災で焼失してしまっていたのを、当時の形 に復元して記念館にしたのだそうです。
 グリフィスは牧師であるとともに、科学者だったのです。日 本の教育に深く寄与したと言う事でた。「ミカドズ・エンパイ ア」と言う著書があり、封建制の清算と中央集権体制の成 立の様子をしっかりと把握していました。勲四等旭日章・    勲三等旭日章をを受けています。
 建物は当時の設計を復元した洋館建築・薄緑色に塗られ テラス・ベランダなどがあり、美しいものでした。経歴や、a@井の人々との関わりは感動的なものでした。


 



   h艪ヘ柴田勝家とお市の方の悲劇で終りましたが、彼ら  が幸せに過ごすことが出来た何年間かがあったのは北之 庄城だと思われます。イラストがありましたので、彼らが
、この城が燃えさかる中で亡くなったのだと言うことを思うた めに ここに載せておきました。
 

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