茫茫漫遊記 房総・会津紀行
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六月二十三日・木曜日・曇り。ときどき晴れ。
朝食もやはり海産物中心でしたが、半熟たまごや納豆がついて、たっぷりでした。食後にモーニングコーヒーのサービスを受けました。
昨日のタクシーの運転手が約束通りに朝八時半に来てくれて出発。
最初に日蓮の誕生したお寺・誕生寺に行きました。後に日蓮宗の誕生寺として、日運が建立したところなのでした。2021年が日蓮上人の生誕八百年なのだそうで、それに向けての大規模な改修工事が行われていました。山門を入るとすぐに、「日蓮大聖人ご幼蔵」が立っています。昭和十年に建てられたものと記されてありました。ここから修業をする山上の清澄寺へゆく十二歳の姿とされていました。
 寺の中を拝観してゆき、本堂にちかづきまして、手を合わせていましたら、僧が通りすぎました。無信仰の私が「ここでは何といって拝んだらいいのでしょう」と尋ねました。すると、「南無明法蓮華経」と言って拝みなさいと教えてくれました。教えられたとおりに手を合わせました。寺内には有栖川宮、柳原愛顧、明治天皇など、皇室との因縁がふかいことが記されたものが多く、大正天皇が、幼弱時にここの祈祷によって恢復されたなどと言うことも書かれてあえいました。

 
日蓮が修業をしたという清澄寺(さいちょうじ)へ登りました。
すっかり舗装されて造られた道でしたが、かなりの急坂で、距離的にはあまり遠くないのですが、日蓮がここを登った時代には、道なき道のようなところだったのでしょう。大変な修行だったでしょう。

小さな村落があり、土産物を売る店もありましたが、あの震災のあとは本当に閑散としてしまっているとのこと。以前は観光客も多かったそうです。

 
境内には千年杉と言われる大木がたち小さな池にはモリアオガエルがいるとか言うことで、睡蓮の花が咲いて、静かでした。


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七七一年に不思議法師が自刻の虚空蔵菩薩を祀って開基し、平安時代に慈覚大師が来て堂宇を建立した天台宗の寺だったそうですが、徳川初期には本山格式をもって再興したときから真言宗の法脈をついで四百年近くを経ました。廃仏毀釈の余波で衰微していたのですが、日蓮宗に転宗するよりほか昭和二十四年に日蓮上人出家得度の寺として、日蓮宗大本山となったと言う経緯をたどった寺なのでした

  



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鴨川シーワールドに立ち寄りました。
ここは渓流の生物から、川の生物、そして海へと移ろう生物を系統的に展示してある水族館で、系統立っているのが気分よく、子供たちに学習させたいと思いながらまわりました。
シャチやイルカのショーもあるとのことでしたが、時間の関係でパスしました。それにここも観光客の減少で、館内はガラガラ状態でした。
例年、夏休みには水泳も出来る海岸もあるし、子供達のメッカみたいなところなのだと聞きました。隣にホテルもありましたが、あの震災の影響がこんなところにもあるのを、かなしくおもいました。

太海フラワーセンター。房総は春先の水仙にはじまって花があふれる地方ですが、このフラワーセンターも南国の木々、熱帯植物をはじめとして、数えられない種類の花々が有ります。英国、カナダ、シンガポール、ニュージーランドなどの同様な施設の規模には及ばないなどと思いながらめぐりました。大きなサボテンが華麗な花をつけているのはとても珍しかったです。これが暑い砂漠に咲いているのだと思うと不思議な感じがしました。 た。

野島崎灯台では、ながい螺旋階段を上って展望するつもりでしたが、ものすごい風で、吹き飛ばされそうになって恐ろしい思いをしました。天気がよければ伊豆七島や伊豆半島も望めるとのことでしたが。この灯台は明治二年十二月八日に竣工し点灯したもので、日本の洋式灯台としては、三浦半島の観音崎灯台についで二番目のものだそうです。それが、関東大震災で倒壊し、大正十四年に再建されたものでし 





今日の宿・館山のホテルアクシオンに到着。チェックインしたあとで、館山のタクシーを頼んで、館山の観光に出ました。

まずあの青木繁の記念碑を訪ねました。あの「海の幸」を制作したのはここ館山の布良海岸の海なのだと聞いていました。記念碑は丘の上で、海が見下ろせる場所でした。海を見下ろす門のような形の碑が、ぽつんと経っていました。説明の表示板にはあの「海の幸」の陶板が付いていました。有名な作品の出来たところなので、もうちょっとわかりやすく道案内の標示がしてあればいいのに、探し当てるのには少し
苦労しました。





「南総里見八犬伝」で有名な館山の里見関連の話をききながら、館山城公園へ行きました。宝井馬琴の八犬伝はフィクションだとはいいますが、里見氏は実際に存在し、八名の剣士は実在したのだそうですから、あながちフィクションだけとは限らないのでしょう。

しかし、このお城は観光のためにつくられたフィクションに作品で、とても整ってきれいで風景にとけこんでいました。この丘の上から館山の街や周辺が見渡せます。
 


ホテルへ帰り、入浴「潮彩の湯」はバブルバス・露天風呂もあり、大きく清潔。快適でした。

夕食。フランス料理のコースで、前菜がフォアグラのソテー。ワインを楽しみました。

    

 


夜中、風が荒れ、海も波の打ち寄せる音が聞こえてくるほどに荒れていました。内陸の暮らしだけしている私は、一晩中荒れる海の音を聞いて、クルーズをした時のような気分でした。

早朝五時起床して見ると、ホテルから望む海は荒れています。白波が立って強風。列車に間に合うようにタクシーを頼んでいたので、朝食はランチボックスして貰ったのを持って出発しました。

館山の駅まではとても市とは思えない農家のぽつんぽつんとあるような山辺の道でした。このあたりは温暖で紅葉はなく、落葉もしないとのことで、温暖な房総の気候を実感しました。

道辺の篠竹がざわざわとさわいでいて、農地はあれているようでした。過疎地になっているとのこと。千葉県と言えば東京に隣接しているから、都会的だろうと思っていたのが、あまりに現実とかけはなれていたのに驚きました。

 

館山の駅は、モダンな白い建物でしたが、そこでわれわれの乗る列車が、強風のために運転休止になっていたことにあわてさせられました。

私の住む田舎では途方にくれるところですが、館山からは三十分に一度程度、東京への特急バスが運行されていたので助かりました。

バスにのったお陰で、安房の国の山々や山間の田園など秋田の山村とにたような沿線の景色を見ることも出来たと言う良い体験をしました。

木更津からは東京湾アクアライン連絡道(とうきょうわんアクアラインれんらくどう)を通り、川崎に抜け、羽田空港を通り過ぎて、首都高速道路に抜けました。首都高速道に入ってから混雑で、のろのろ運転。東京駅八重洲北口に、二時間少しで到着できました。

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