茫茫漫遊記 日光紀行
           中禅寺湖         日 光

バス・西参道で下車すると便利だと聞いてゆくと、まず最初に
家光廟大猷院で、まず出合うのが仁王門。

家光の廟とは言っても、御門が三基もあり、それぞれ石段を登ります。難行苦行のはじまりを予感させます。

家光の御廟は、家康の廟よりも慎ましく造られていると言うことでしたが、それにしてもすごい装飾でした。


「大猷院」の額を掲げた
二天門の裏側には、赤い雷神のほかに、青い風神があります。


山門にある像にはいろいろありますが、風神、雷神は珍しいと思いました。

拝殿にあがり、解説を聞きました。狩野派の絵師が描いた天井画の龍や、狩野永徳の描いた獅子図などのほか、三六歌仙の和歌を掲げてあったりして、飽きさせませんでした。

家光が着用した具足なども飾られていました。


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非公開の奥院(家光の墓所)を隔てているのが皇嘉門でした。

あまり大きいものではありませんでしたが、他の門とちがった雰囲気があります。

中国・明朝の建築様式で、竜宮造りだとのことで「竜宮門」とも呼ばれているそうです。


門の扉が固く閉ざされているので、中は見ることが出来ません。



境内東側の参道入り口に立つ、楼門は二荒山神社のくぐり門です。

男体山山頂に奥宮がまつられてから1200年を記念して 昭和57年(1982)年につくられたものだそうです。

ここから東照宮に通じる参道を、杉の巨木や石灯籠が並んでおり、馬道として馬車が通っていました。

正一位勲一等 日光大権現 と言う掲額でした。  




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神様に仕える神馬のいる神厩舎。神馬は雄の白馬が条件だそうです。

神厩舎は素木造りで、長押の上には「三猿」で有名な猿の彫刻があります。

昔から猿は馬を病気から守ると考えられて、(意味は知りません)いるのだそうです。

昔は猿を馬屋で飼う習慣もあったと聞きました。
 
 

「見ざる、言わざる、聞かざる」は本当に難しいことですね。情報公開だったり、一方では プライバシーの保護だったりして。


日暮らしの門・陽明門です。

もの凄い彫刻の数々に圧倒されます。ここには五百以上もの彫刻作品で飾られています。

東照大権現とあるのは後水尾天皇の筆になる勅額だそうです。

一日中見ていても、見切れないだろうその彫刻群です。

下から出るのは屋根の隅に彫られてある龍です。

どれ一つとっても素晴らしいもので、日暮らしの門と言われるのは当然だと思います。


  

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下から出るのは上神庫の側面に飾られている二頭の大きな象ですが、実際の象とは異なります。

当時・狩野探幽が、想像で彫刻の下絵を描いたということで「想像の象」と呼ばれているそうです。




東回廊の奥社参道入り口にある左甚五郎の作と伝えられる「眠り猫」です。

東照宮の彫刻の中で最も有名な彫刻ですが、思っていたよりも小さかったです。

ここをくぐって家康の廟のある奥社に続く207段の長い石段を登ります。

この石段は、すべて一枚の石でできていていて、石柵の斜めになっているところは、台石、柱石、笠石とも一枚の石をくりぬいたものです。寒さの厳しい日光では、凍っても浮き上がらないように重く大きな石が使われているのでした。

当時の石工達の優れた技術に感じ入りました。


東照宮の奥社の拝殿です。

奥社とは東照宮の祭神・徳川家康公の墓所ですので陽明門のある本殿拝殿よりも大切な拝殿なのです。

こちらは煌びやかな装飾は少なく見えますが、建物全体を真鍮や銅の板で覆い、その上から黒い漆を塗ってあるのだそうです。

外見は地味でも内部は豪華な仕様だそうです。







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扉を除いて、柱や梁などをひとつの鋳型でつくったことから鋳抜門と呼ばれている門です。

家康公の宝塔がこの奥に鎮まっています。ポインターで下からでます。

宝塔に納められているのは家康公の神柩だそうです。これは建立以来、一度も開けられたことがないと言います。

この宝塔は最初は木造、後に石造りになり、さらに(1683)年の大地震で破損したそうですが、5代将軍綱吉が現在の唐銅製に造り替えたものです。

鋳抜門の前の石段に、やはり鋳造された狛犬に一対があり、宝塔を守っています。




極彩色の豪勢な造りで東照宮入口にあります。
この塔も国指定重要文化財です。




日光二荒山神社の建造物で国の重要文化財に指定されています。

美しい橋で、特別な神事の時にしか渡られません。

左の五重の塔は1650年・酒井忠勝が奉納したもの。高さ35m。1815年に火災により焼失し文政元年に酒井忠近が再建とあります。



JR日光駅です。白い木造のクラシックな建物はユニークです。

東武鉄道の日光駅周辺はおみやげ屋さんがたくさんありましたけれど周辺には目立った観光設備はありません。

入って、二階へ階段をのぼると、昔の特別待合室として使われていたという、部屋がありました。

今は会合などに使われることがあるようです。

下から出てきますが、ご覧のような豪華なシャンデリアが灯っていました。



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この日光駅では、丁度貴賓室が公開されていました。

戦後、田母沢御用邸は開放されて、ホテルとして使用されていた時期がありましたが、今では日光市のものとして「御用邸の公園」となっていました。

今回の一日日光旅行は、ほんのちょっとだけしか見て回れませんでした。
外国人が沢山来ているのは驚くばかりでした。また誇りにも思いまし
た。

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