茫茫漫遊記 身延・善光寺紀行
           身     延      山          善    光      寺

身延線で甲府へゆき、甲府から中央線で松本行き、松本から しののい線 でやっと長野へ着きました。
老人じゃないつもりでいても、かなり複雑でした。

長野駅で、まずはタクシーで宿坊へ・・・・。
宿坊は、坊ですから、参詣の方々を泊める為にはかなりの改装もしているのでしょう。昨日の旅館よりもきれいでした。
勿論、洗面も浴場も、トイレも共同です。とてもきれいにしてありました。

宿坊へ手荷物のリュックを預かってまずは早速善光寺へと足を運びました。



昭和十九年に金物供出に出されて この六地蔵は昭和二十九年に再興されたものだそうです。

若い方は金物供出なんて ご存じない方もいらっしゃるでしょうね。

お地蔵様を、大砲や、鉄砲の材料に使ったり、弾丸の材料に使ったりして、殺傷の道具としたと言うことは、狂気としか思えませんね。

山門をくぐって一番先に迎えてくださったのが、この六地蔵様でした。
 
お地蔵様は、大体が錫杖を持って立っておられると思っていましたが、ここのお地蔵様は全部座っておられした。
 
赤ちゃんを抱いたお姿から、左足を台座から出して今にも立ち上がろうとしてお出での右端のお地蔵様。
六体のなかで錫杖をお持ちなのはこの右端の一体だけでした。わが家の菩提寺の六地蔵様を、子供たちの守り本尊としてだけ拝んでおりました。ひどいものです。
 
六地蔵とは、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天の六つの世界で我々衆生を救ってくださる菩薩様なのでした。
「オシャベリばかりしないで、しっかりしなさい」と言われそうですね。
今の平和を喜んで手を合わせました。

隣に大きなお地蔵様が一体お座りでした。八百屋お七の供養のためにつくられたものと聞きました。悲しいお顔が特徴です。  

   

夜は同宿の方々と一緒に食事。般若湯をいただくことができて、ゆっくり休みました。宿坊ですから大体のことは自分で行います。

  

院主の説明を聞きながら仰ぐ一七五〇年建立の山門をくぐります。

楼上には輪王寺宮の筆による「善光寺」の額が掲げられている。これは「鳩字の額」で、三文字の中に鳩が五羽隠されているからだとのこと。

また「善」の字が牛の顔に見えるそうで「牛に引かれて善光寺参り」の話ともつながっていると聞く



早朝朝五時起床。共同洗面所で洗顔ののち、宿坊の坊主と共に同宿の親子も同行して、善光寺の御朝事に行きました。
善光寺は宗派としては無宗派だとのことです。この日は今年一番の寒さでふるえるばかりでした。

石畳の参道の敷き石は文化財。江戸で財をなした石屋の息子が放蕩者で家に寄りつかなかったが、ある夜、盗賊がはいったので主人が刺し殺すとそれが息子だったそうで、世の無常を感じ、巡礼に出たところ、歩きにくくて難渋していた善光寺参道をみて、その敷石を寄進したのだそうです。長方形の石が規則正しく敷かれていて、いまでもおよそ七千枚が補修されながらも、往時のままに敷かれているのだとかききました。

本堂の前で「お数珠頂戴」。信仰のない私も、少し神妙になって、ひざまづき、貫首さまのお数珠で頭に触れていただきます。本堂に入って、オビンズルさまの頭と腰に「ぼけませんように」「腰が曲がりませんように」とお願いして、こんなときだけは少し神妙な私でした。オビンズル様はもうすっかりツルツルになって、お顔の相さえさだかではない。それだけお願いする人が多いということだから、私の願いが聞き届けられるかどうか。

お朝事は境内の坊の院主が揃ってのお勤め。僧たちの唱和する経は、まことに美しく堂内に響き、約一時間も続きました。そのあと、供養をいただく人々の名前をいちいち挙げての供養の経が続きます。
私たちは順番がくるまでの間に、内々陣の奥のお戒壇巡りにいきました。お戒壇巡りとは、瑠璃壇床下の真っ暗な回廊を巡り、中程に懸かる御本尊様とつながれた極楽の錠前に触れ、御本尊様と結縁を果たし、往生の際、お迎えに来ていただく約束をするのだそうです。錠前には触れましたが、大丈夫でしょうか。とにかく真っ暗。真の闇とはこのことかと思いました。





震えながら宿坊に帰り、暖かい 朝食をいただき、供養証明書?を戴いて九時に退出して、列車時間まで境内を散策しました。

重要文化財の経藏は、宝暦九年(1759年)に建立された宝形造りのお堂です。内部中央には八角の輪蔵があり、それをまわしてお祈りするのだそうです。その中には仏教経典を網羅した『一切経』が収められているのだそうです。輪蔵に付属している腕木を押し回すことでこのお経をて読んだことと同じ功徳が得られるといわれています。チベット仏教で見られる『マニグルマ』とおなじです。

でも残念ながら「建物老朽化に伴う検査のため、当面の間、内部参拝を停止しております。」とあり中には入れませんでした。



日本忠霊殿・善光寺史料館は奥まったところにあります。

戊辰戦争から第二次世界大戦に至るまでに亡くなられた人々の祀っている所だそうです。仏式によって祀っているのはここだけだとか聞きました。

御本尊は秘仏の善光寺如来様の分身仏で、(高村光雲門下 関野聖雲作)秘仏となっています。

1階は 「善光寺史料館」 でした。仏像や絵馬などが沢山掛けられ、全国的な善光寺信仰の歴史を知るることができます。


善光寺について、知らなかったことも多く、また庶民の信仰が深まった理由なども、何となくわかった気持ちになりました。



善光寺史料館などを見てから、ゆっくり歩いて長野駅に向かいます。

途中古い民家のような珍しい善光寺郵便局を見ました。由緒のある建物の跡なのだそうです。

そぞろ歩きをするのも心地よい道でした。その道すがら、石童丸・刈萱道心の寺もみました。

長野に来たのだから、蕎麦を食べなければと、駅で新蕎麦を食べて軽い昼食として、今回の旅の目的は大体果たした気分になって帰路につきました。
記録として書いたものです。お笑い下さい。


家へのお土産はここで有名な「七味唐辛子」でした。


  

山門を出てから、門前町につながる馬返しの仁王門の仁王は高村光雲とその弟子の手になるものだそうです。近づいてよくよく見直したりしてくぐりました。

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