茫茫漫遊記 身延・善光寺紀行
           身     延      山          善    光      寺

  



  

私たち二人の高貴高齢者の旅は 何しろ1万2千円の乗り放題のJR東日本のパス利用ということです。
 
秋田新幹線で上野下車、新宿へ、中央線で甲府へゆき、ここから身延線で身延へと言うことになります。この身延線は残念ながらこの経済切符の範疇から離れ JR東海ですから、この部分は別料金を払いました。駅からタクシー、身延では宿坊でなく旅館というところに泊まりました。この表現には理由がありました。本当に昔の旅館で、共同風呂、共同便所です。
 
山門のすぐ傍ですから便利ではありました。荷物を預かって、まずは久遠寺本堂まで旅館の車でいきました。修行のお方は修行のお方はものすごい急な菩提梯をのぼるのですが、これは敬遠「ご年配の方、心臓の弱い方、体調の優れない方は別の道を回るように」と言う標示があった。勿論私たちは、ためらいもなく登らないことにしました。今日はそれに素直に従ったのです。

久遠寺では冬桜が盛り、南天が沢山真っ赤な実を垂らしていました。五重塔が落成したところで、来春には落慶式だとか聞きました。激しくない雨に濡れてフムフムと頷きながら一回りです。
 
ご本堂の天井画は龍で加山又造画伯によるものでした。旅館の車をよび、帰って夕食です。お酒をいただく人の傍で、私はお茶をひいて、もくもくととる夕食は自宅と同じでした。 「明日は晴れです」とはっきり言う旅館の人の言葉を信じて床に就きました
 
 
   
   

滅多にないこと、天気予報が当たって、よい天候になりました。

五時には目が覚め、六時過ぎはまだ暗いのだけれど、山門まで行ってみます。宿からはすぐ、門前町の佇まいはどこも同じ様な感じがします。時間が早いのでまだ静まりかえっていました。
山門のライトアップが六時に消され、信徒らしい人が山門の前で経を大声で唱えて去りました。

このころになると次第に明けてきて、紅葉の残る山を霧が這いのぼって行きました。

「菩提梯」の傍に、永久十一年(一二九二年)日蓮が身延に入った際に大檀那として後援した南部実長(波木井実長)を顕彰する銅像を飾った小さな社がありました。

六時に勤行の太鼓が響き、夜が明けだしたら、残っていた紅葉が山門の奥に散り敷いていてまことに美しいです。



久遠寺だけでなくここ身延には数え切れない(とここのあたりの人が言った)末寺があり、修行僧などの数も不明だそうである。すべて日蓮で塗り込められている。

旅館に帰り朝食をとり、宿の車で山頂(奥の院)へのロープウエーの発着所まで送って貰います。

九時十分の始発にのります。急な山腹は杉の林で、勿論鳥獣保護区なので、野生動物が沢山住んでいるとのことです。数々の野鳥の声も聞かれるとのことですが、杉のうっそうたる林です。杉花粉の飛ぶ頃は空気が薄汚れて見えるほどだそうですから、花粉症の方にはここの観光はご注意!です。

七分ほどで山頂に到着。降りるとすぐのところにある展望台から、すっくと立ち上がる富士山が望まれました。清澄な冬の朝の空気の中で、やはり富士山は日本一の山だと感動しました。
  


   




前の日は雷雨で、ロープウエイが何本か運休になったそうですが、私はこんなに素晴らしい富士山を見ました。

そして南アルプス連峰をのぞむ反対側の展望台へゆくと、こちらもまた素晴らしい眺望でした。

北岳、間の岳、農鳥岳などのパノラマに感激して立ちました。

カールブッセのあの「やまのあなたのそらとおく」の詩を書いてある標識がありましたが、まことにその詩に相応しいような眺望で息をのむ。


奥の院にある「思親閣」は日蓮聖人が、故郷である千葉県小湊の方向を望み、両親を偲び、追慕された地だそうで、奥の院・思親閣があります。

ゆっくり歩いて元のロープウエイ乗り場に帰ると、もう富士山は雲に隠れてしまっていました。


ロープウエイで久遠寺の所まで降りて、あの菩提梯のところへ行ってみました。
何人かの人が上ってきていましたが、やはりかなりの苦行なのでしょう。辛そうなお顔でした。

近いうちに、この菩提梯の所に沿って、エスカレーターの様なものが出来るのだそうです。修行の地でなくなるのですね。いいのか、悪いのか 私にはわかりません。

昨日と同じく、宿の車をよび、預けてあった荷物をとってまっすぐ身延駅に送って貰いました。

時間がたっぷり。駅の前のおみやげ屋で、甲州印伝の小銭入れと、紫水晶の小さな飾り物を購入した。

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