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新潟紀行 1 |
新潟紀行 2
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新潟紀行 3 |
新潟県指定 文化財 市 島 家 | |||
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北方文化博物館・伊藤家から、車で約30分あまり、新発田市にある市島家です。 こちらも豪農の館とされています。豪農といいますが、こちらは兵庫県・丹波から、主君の新発田移封に1598年に随従して来てから、蒲原平野の開発につとめ、大地主となったのでした。 12世9代で、直系の子孫は絶え、財団法人となりましたが、現在、邸宅は新発田市にそっくり、寄付されて、市の管理のもとで、運営されています。 敷地 八千余坪。 建坪 約六百坪 |
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茶室の一つ 松 籟 庵 | |||
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庭園は清月園。純日本建築の建物を囲む回遊式庭園です。 諸処に有名な歌人の碑がたててあり、足を止めて鑑賞します。新しいところでは、岡野弘彦の一基がありました。ここの近くにある白鳥の飛来で有名な瓢湖を訪ねたときのものでした。 「魂のすみとほるまで 白鳥の 舞ふを見てゐて去りなむとする」 会津八一(市島家の一族のなかの一人)吉井勇(ポインターで下からでます)他が目をひき、足を止めさせます。
庭園の奥には百畳敷きの説教所が設けられて、仏教の布教に心を向けていたことが、窺えます。 |
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上は園内の茶室の一つ「松籟庵」(文化財)三畳台目の茶室で幕末の建築です。
風雪で老朽したものを復元してあります。命名は表千家即中斎千宗左宗匠で、松に吹く風の音を意味しています。屋敷の最も重要な建造物であった湖月閣は、新潟地震で倒壊してしまって今はありません。美しい四季の眺めを映す池を愛でる場所に位置していました。 江戸・明和(1764〜1771)に作られた雛人形・今から二百年以上も前のもので、古今雛とも言われるものが収蔵されて展示されていました。 官女が7名、仕丁が5名と定型の雛飾りとは違っていて、とてもにぎやかなものです。保存状態もよくて驚かされました。 収蔵品は素晴らしい芸術品ばかりでした。廊下に展示されていた豪華な蒔絵の硯箱などは、地震で毀れたと、説明がありました。 |
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新潟市 ホテルイタリア軒のレストラン | |||
1874年(明治七年)に来日したフランス人スリエによる曲馬団一行の賄い方(コック)ピエトロ・ミリオーレが、新潟での興行中に病気で倒れ、一行から取り残されたのを、当時の県令・楠本正隆が援助し、、牛肉の店を開いたのが最初だったそうです。 その後繁盛して、明治十三年に、瀟洒な西洋館で本格的西洋料理店イタリア軒を開店ということになりました。 この西洋料理店は当時「新潟の鹿鳴館」と言われるほどに人気を呼びました。 イタリア軒はその後ホテルに変わり、現在はニューオータニグループに入っています。 |
レストランの名前はマルコポーロででした。 主人の友だちの推薦で、体験しようと思って出かけましたが、気取ったところのない普通のレストランでした。お客さんは多かったです。 ナポレオンランチと言う定番のメニューをいただきました。 ・パスタを浮かべた野菜スープ“ コルシカ島風” ・ナポレオン勝利の地で生まれた 仔牛の“マレンゴ風” です。 |
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新潟市 古町通りの 良寛像 | ||
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良寛170年祭を記念して新潟良寛会が建立、 平成12年3月31日除幕式 この像の下には詩が刻まれています。 ・詩碑 余持鉢到新潟 逢有願老子説法 白舎 因有偈二首 似欲割狗肉 当陽掛羊頭 余亦同臭者 優々卒未休 伊余疎慵者 乞食此地游 逢著鬧市裏 一笑共悠々 良寛様は伝説のようになり、物語の様に親しまれていますので、この次に新潟を訪ねるときには、良寛様を目的にしようとおもいます。
今回はこの古町とおりにある良寛像一体とお会いしただけで、お別れです。 |
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新潟市内で、古町は昔からの繁華街だそうですが、そこに珍しいところを発見しました。昔懐かしい感じの演芸場です。 しかし調べて見ますと 平成17年に開かれた演芸場でした。私は面白いのが大好きですが、今回はただ通りすぎました。 新潟は大衆演劇が盛んなんでしょうか?劇場の外見はレトロな感じを出してありますが、中身はどうでしょうか? 市内を回る観光バス「ドカベン号」と「鬼夜叉号」が走っていて、これも体験として、利用しました。一回二百円で一回り、一日券乗り降り自由は五百円でした。あちこちの街にありますが、これはとても便利でした。 因みに「ドカベン」「鬼夜叉」は新潟出身漫画家の作品のキャラクターの名前です。 |