茫茫漫遊記 新潟紀行


        
新 潟 紀 行  1
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  朝 で す。

     

JR東日本の乗り放題の三日間の旅で、新潟へ出かけました。
秋田新幹線で大宮へ、大宮から上越新幹線で新潟。新潟からの帰りは、羽越線の ゆっくり特急「いなほ」で秋田へ。秋田からわが町へ秋田新幹線で・・・・。という三日間。
のろのろ二人に、たいした内容のない列車利用を目的としたような感じでした。
一日目は夜新潟着。お寿司屋さんを紹介して貰って、新潟のおいしいお酒をいただきながら、10時頃まで・・・。そのあとは、ホテルで熟睡。

朝です。信濃川に映る朝日が美しく、河畔の散歩道を歩きました。

      信濃川  萬代橋 
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        昭和四年竣工の石橋。
 これは三代目の橋。二代目までは木橋。


国指定重要文化財です。さりげなく毎日沢山の人々が往来していますが、そんな重要なもののように思わないで、単に利用しているのでしょうね。でも百年間ですから、愛着は沢山、重なる思い出も沢山でしょう。「君の名は」の数寄屋橋には私も待ち合わせの思い出がありますが、今はそんな雰囲気はないですね。
 ここにはまだデート利用もできそうです。お洒落なライトアップも水面に美しくはえていますし・・・・。若かったらネ。
 
朝の河畔には釣り人がいました。「何が釣れますか」と尋ねると、「50糎くらいのスズキも釣れる」と言う答えで驚きました。そこで
「毎日つれるの?」と聞くと、「そりゃないよ。アハハ・・」とごまかされました。

       高浜虚子の句碑
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昭和四年にこの美しい石の眼鏡橋になりました。

新潟の大地震のとき、少しだけ段差ができたそうですが、それも修復してもとの形にしてあります。
 
スゴイですね。そのことについての説明板もありました。

高浜虚子の句碑がありました。虚子がここを渡ったときは木の橋だっだそうです。

当時、千二百七十歩もあったと言いますから、長いですね。信濃川の河口近くですから当然ですが・・・。

     北方文化博物館    豪農の館     登録有形文化財

越後神原平野を流れる阿賀野川西岸にある豪農の館です。

江戸時代中期から代を重ねていた伊藤家一族は、明治に入り、農地を集めて、一時期は千三百七十町歩の田畑を所有して、昭和初期になると新潟県一となりました。

世界大戦敗戦後の農地解放でこれらの田畑は伊藤家から離れました。
明治時代からの豪壮な邸宅は、敷地八千八百坪、建坪千二百坪あります。昭和二十一年に「北方文化博物館」として遺構保存されることになり、また平成十二年には国の登録有形文化財になりました。

左の写真は正門とその前の遺構です。


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大    藤

   屋敷の横の井戸のある広場にあるのは一本の木で庭全体に影を作るほどの大藤
       庭     園
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百畳敷きの大広間はすべて欅造りで、式台だとか戸はすべて一枚板造りで、ものすごい豪勢なものです。

冠婚葬祭に使われたのでしょうが、その時の献立が壁一面でたりない程の長さの紙に書かれて掲示してありました。


大広間から見る庭園は、四季それそれの美しさが愛でられるだろう設計です。

説明によりますと、各地の名石を配して、鎌倉・室町の古式に則っての回遊式庭園だそうです

庭園内には茶室が五つ配されていて、苔の美しさも愛でられました。




      三  楽  亭
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小さな正三角形の書斎兼茶室でした。畳も菱形と三角形につくられていて、本当に珍しい建造物です。建坪は十一坪余りです。

円い窓が一つついていて、不思議な感じでした。
とにかく丁寧な、念入りな細工がされていますので驚かされます。

ただ、落ち着かないのではないかしらと思いましたが、これは遊びなのでしょうね。

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