茫茫漫遊記 沖縄・新年編



 
 
 12月31日 カウントダウンの大騒ぎ     





    

琉球舞踊と琉球太鼓で、大騒ぎをして、お餅をついて年越しのお祝いをしました。ホテルのロビーです。お餅の中には 赤甘藷の粉末?が入りまして、内地の餅の感じとはチョットちがいましたが、美味しかったです。
舞踊は静かで奏でる
曲も静かで、美しかったです。太鼓の方は、今は昔と違っていろいろな振り付けがアレンジされていて、昔とは違うと言っていましたが、私はこれしか見ませんので、最後にみんなでエイサーを踊ってあたらしい年を迎えました。面白かったです。戦跡を廻ってチョット沈んでいた気分が快復しました。

1月1日       

  
 
  
 
   


世界遺産になっている首里城遺構です。大戦ですっかり破壊された首里城の跡に、琉球大学がつくられました。1984年新キャンパスに移転しました。海洋博が開かれた時には、守禮の門が再建されたばかりでまだここに大学があったと思います。
 
琉球王国は1427年に始まり独自の文化を誇っていたのですが、1879年に首里城をあけわたし、王国が崩壊しました。そこで日本の沖縄県が誕生したのでした。
昭和元年、昭和8年には首里城正殿をはじめとして、守禮門などの門が国宝に指定されていたのですが、沖縄戦ですべて焼失してしまいました。
戦後1957年から復元が行われ、現在では、昔の形にほぼ近づいたと言うところだそうです。
2000年に首里城跡園比屋武御嶽石門(そのひゃんうたきいしもん)下図 と玉陵(たまうどぅん)が世界遺産に指定されています。


ここで、砲弾の雨が降るような爆撃が行われ、あの海には艦船がひしめきあっていたなどと想像すると切なくなります。残されているのは石畳とこの石の遺構です。
砲弾のあとなどをガイドは説明致しませんでした。今はすっかり美しく整備されている首里城公園と言うことで、観光客はその美しさを喜び、何だか昔日の凄惨はすっかり忘れられているような感じでした。琉球王国の盛衰と、沖縄戦の凄惨に思いをはせてあとにしました。
  
 
    万 座 毛    






18世紀前半、この地を訪れた尚敬王が「万人を座するに足る」と言ったのがこの名前の由来といわれています。恩納村にあり、琉球石灰岩の断崖絶壁と天然芝の広場が景勝地を成し、また、植物群落は県指定の天然記念物に指定されています。
 
私は今回訪れるまで、この読み方がマンザモウだとは知りませんでした。マンザゲと読む人が殆どで、私もその一人でした。万人が坐すに足る草生のある台地から見る海の景観です。海が荒れていましたので、迫力満点。ただ風が吹きすさび、坐すなんて言うことは考えられませんでした。
 
沖縄の地名、名前には旅の間中悩まされました。沖縄の方には当然の地名でしょうが
 
読谷、北谷、今帰仁、許田、西原南風原、勝連、中頭、恩納、国頭真栄平・・・・・。
  皆様 読めますか?
それにドライバーの名前もガバナ(字はわからない)さんでした。
 
琉球と言う国を確かに感じさせるのは言葉ですね。いまは沖縄弁をしっかり話す人はほとんど無いとのことですが、夏川りみ「涙そうそう」が大ヒット。沖縄の三味線(サンシン)。沖縄の音楽・琉歌の哀愁。ブームだそうですね。私もひきつけられました。
 
そこで 八、八、八、六の琉歌をひとつ。   

ガジュマルの下にうたう恋の歌、海にいさなとる君にとどけ
ウチナーの海に出でていさなとる映る月影に君を思うよ 
 

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