12月26日から 12月29日 横浜 出港 |
12月30日 元旦 グアム |
12月31日 サイパン |
1月1日から 1月3日 |
1月3日 1月5日 帰港 |
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硫黄島の沖を通る。船は速度を落としてまわりこむ様に 島に近づいた。近づいて あたかも人影が 硫黄島摺り鉢山がはっきり見えました。 第二次世界大戦で 最も壮烈だった戦場です。 アメリカの兵士がこの摺り鉢山の頂上に 星条旗を立てる写真は有名ですから、ネットからいただいて つけてみました。 |
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孀婦岩〈やもめ岩) 四方を見回しても島影一つない海の真ん中にスックと立ち上がっている岩です。 周りはすぐに深海。本当にポツンと一人立っていると言う感じがします。 荒海でなかなか上陸出来ないとのこと。 渡り鳥の休憩島。生物・昆虫の類はは何種もゐるとのことです。 行くときには海が荒れていて、写真どころではなく過ぎてしまいましたが 今日は風はありますが晴天です。 行くときは孀婦岩をみに デッキに出るのが危険なくらい、海が荒れていたのですが・・・・。 |
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タイトル6 | |||||||||
家にいる人々へのお土産に飛鳥のショップで買おうと思ったら、 クッキーは売り切れで、思うようなものはありません。 仕方がないからハンカチ程度のものをあれこれで終わりにしました。 何もしない毎日だったのに、何故か少し疲れを感じている。 明日のフォーマルの日に使うために大判のスカーフを 記念に買ました。フワフワの紫系統のを一枚購入。 和食とあった夜の献立は鍋料理。 少し遅れていったので奥の方の席に案内されて座ると、 人の往き来はなくて静かなのですが、 足許から響いてくるエンジンの音に辟易しました。 船のエンジン音がゴーゴーとして二人のお喋りも 聞き取れないくらい。早々に退散しました。 鍋料理はあまり結構ではなかったし、この轟音には すっかり辟易して、さっさと切り上げてキャビンへ・・・・と、言う結果でした、 |
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今回の旅行で船の行事で印象深く、楽しく過ごせたのは 今日のタイタニックの話を訊いたことだけだったような気がします。 クルーズディレクターが、タイタニックのあの悲劇が起こったことの経緯。 当時の情報伝達の様子。乗員の対処の有様など 記録に従って話をしてくれたのです。 タイタニックは浮沈船。その構造は素晴らしいものだったことを 過信して、氷山の情報を軽視したのでしょうか。短時間の深没してしまったのは 不思議にさえ思われ、今でも謎なのですね。 事実あった事なのですが、事実よりもあの史上に残るほどの名作になった映画が 人々にあたえた強烈なロマン性はどうでしょう。 タイタニックと言えばあの舳に立つ〈考えられない〉映画の一場面を 皆が思い出して、あのポーズをとったのです。 実際はどうだったのかを考察してのレクチャーは面白かったです。 タイタニックは現在も深海にあり、何だか特殊特殊なバクテリアによって 船体が無くなる日が近いということでした。 |
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船は日本にむかってすすんでいます。 来るときとは違って穏やかなうみですが、デッキでれば風があります。 あちらこちらに島影が見えます。 コメントがありましたが,書き留めなかったので、 島の名前は知りません。 |
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ドレスコード・フォーマルの夜です。 デイナーを楽しみました。 |
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ギャラクシーラウンジでの落語。入船亭扇蔵。今回の航海中に二晩ありましたが、 私達は、一度だけ見に?(聞きに)行きました。 彼自身の操作によるのでしょうが、出囃子も楽しく聞こえて良かったです。 |
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明日は下船なので格別な事無く海の上です。 孀婦岩、その他は幾つかの島々をみて過ごしました。 帰りは海のあれはさほどではないのですが 、デッキに出ると、風はやはり海風である。 荷物を詰めてバッゲージを部屋の外に出してねます。 |
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一月六日。長かったような,短かったような旅の終わりの日です。 まだ暗い内に 東京湾に入ります。 朝焼けが、とても綺麗です 船は入港の時間が決まっていますから、 ゆっくりと、ベイブリッジを潜ってのろのろと時間調整をしながら横浜港へと入りました。. |
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