旅行1
12月26日から
12月29日
横浜 出港
12月30日 元旦
    グアム
12月31日 
   サイパン
1月1日から 
  1月3日
1月4日 
  1月5 帰港
                 



大晦日。そんなことに関わりなくサイパン半日午前中観光に出かけました。
最初に見るバードアイランドは遠望のみ。



 アメリカ軍との激しい戦闘で、降参を迫られて 追い詰められた日本兵や民間人が
     ここから、海に身を投じて自決した悲劇の断崖。
    飛び込む人々が「天皇陛下、万歳」や「大日本帝国、万歳」と叫んで身を投じたことから、
バンザイクリフ〈断崖)と言う名になりました。
ここで自殺した人は一万人にも及ぶと言います。
慰霊碑が沢山あります。

「美しい海ですね。」と言いながら見ていた人が居ました。ここが血の色に染まり
死体の海だったと、見放つ海から風がのぼってきました。

   


 

日本軍のラストコマンドポイント。マッピ山中腹にありあります。
ここが日本軍の最後の基地だったのですね。
壁が砲撃で崩れていました。凄惨な戦いを思います。
日本の旗と,アメリカの旗が風に靡いていました。
 
 

日本軍の戦車の残骸が幾つもマッピ山の麓に展示してあります。
この前、主人と来た時には一台だけでしたが、
ジャングル等の中から何台も発見したのを並べて・・・・・。
この中でなくなった兵隊さんたちの事を思って切なくなりました、。
 



ラストコマンドポイントのある山・マッピ山。この頂上からは切り立った崖になっています。
頂上には多くの慰霊碑や仏像などがあるそうです。
追い詰められた人々がその崖を飛び降りて亡くなって、崖下は死体の山になったとか
訊きました。  スーサイドクリフ〈自殺の崖)と名付けられています。
 
 
砂糖王公園と彩帆香取神社


日本がサイパンを統治していた時代からの公園だそうです。当時は彩帆公園

南洋興発初代社長で「砂糖王」の異名をとった松江春次をたたえて作った近代的公園です。
前に来たときには大きな樹木があったようにおもいますが、坦々ととしてした感じでした。

砂糖きび運搬用として1944年まで使用されていた蒸気機関車〈戦時
軍の運搬のため)が保存されています。,勿論展示だけです。
今は砂糖王公園(シュガーキングパーク)と言う名前だそうです。


彩帆・香取神社もきれいになって祀られていました。
 




サイパン出港は午後五時でした。
見送りの埠頭で なんと 阿波踊りです。
随分沢山の日本人がサイパンに在住しているのだなぁ
阿波踊りのグループが出来るくらいですから、、驚きました、

 

多分、夜中に行く年来る年で大騒ぎしてのであろうけれど、参加する気分にならないのは
やはり年のせいでしょう。

 疲れて早寝と言うことになりました。
 

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