下田海岸ホテルまで | 下田の町を見て廻る。 | 小田原へ寄り道 |
下田は、もともと北条の城があり、その城下町であったことが、昔の通りや建物の姿が残されているのだとのこと。美しいなまこ壁を持つ家の通りがある。度重なる大火の防衛策として江戸時代・旗本屋敷の外側に浸かったのがはじまりだということであった。今もまだ大切にされて風情をもった通りりになっていた。 |
唐人お吉は、ハリスに解雇されたあとで、髪結いをしたり、安直楼と言う居酒屋を営んだけれど、異人の侍妾だったことでさげすまれ、まともな生活をすることができずにいた挙げ句、酒に溺れて流浪して、最期には稲生澤川の上流の淵に身を投げたのだそうです。その死体が引き取り手のないままうち捨てられたのですが、宝福寺の住職があわれんで葬ったのだそうです。 居酒屋だったその安直楼の前を見て通りました。今では市の指定史跡になっているそうで、中も見られるようになっているといいました。 先に述べたが、お吉を弔った宝福寺はあまり大きくないお寺。小さなお墓が寺の片隅にありました。この側にかなり整えられている立派なお墓が並んでいました。どちらも、お吉の墓です。一人の墓が二基あるわけです。 小さいお墓はもともとの墓なのですが、新しい大きいのは後年、お吉の話が芝居になって、大当たりしたので、大谷竹次郎だとか水谷八重子などが立派なのを建てて弔ったのだといいます。面白い話です。このお墓はもともとのお墓のほうです。 |