茫茫漫遊記 一 関 紀 行


  一 関 ・ 厳美渓 ・ 達谷窟     
  中尊寺 ・ 高館 ・ 一関
   
 
  八月二日


  

秋田新幹線こまちは一関には止まらないので、盛岡で乗り換えなければならなかった。
一関の駅前には、大槻玄沢・江戸時代後期の著名な蘭学者、その虫湖の大槻盤渓・漢学者、その孫で、本格的国語辞典の編纂をなした大槻文彦の銅像にまず逢うことになってた。
丁度一関の夏祭りだとかいうことで、駅前は賑わっていたが、繁華な感じはあまりしない。
六月に 宮城・岩手内陸地震があったので、その被害があるかと想像していたが、一関は震源からさほど遠くはないのに、被害がほとんどなかったとのことであった。

とにかく暑い。駅前からタクシーに乗り、約束の時間までの3時間を、一人で周辺を見て回ることにしました。

      



栗駒山を源に流れる磐井川の両岸・2kmにわたる渓谷の壮観で知られる厳美渓です。

宮城岩手内陸地震で、ここに流れはいる川がせき止められて、一時は水があまり流れなくなり、立ち入り禁止にされていました。

岩が崩れたと言うこともなくだいじょうぶでしたが、観光客が激減し、観光もこれで終わりかと思われたそうです。

堰止め湖に対応した処置が行われ、今ではこんな風になっていました。地震のあとしばらくは泥水だったそうです。今でも少し雨が降ると濁るそうです。
降らない今でもまだすこし濁っているようです

       

カッコウ団子



注文するときに「コンコンコン」と板を叩いて、かっこうの声のような音を立てるからの名前かしらと思っていましたら、このお店を開いた3代前のお爺さんが、カッコウの鳴き声がとても上手で、カッコウ爺さんと呼ばれていたんだそうですよ。ナーンダ、ソンナコトカって言うところ。

峡谷の対岸にあるあずまやに置いてあるこの籠にお金を入れて、コンコンと叩くと上に見えるお店の主人が綱を手繰って引き寄せ、注文した団子とお茶を入れて返してよこすのです。私はひとりでしたし時間がありませんでしたし、お腹が空いていませんでしたから、試してみませんでしたが、多くの方々が、面白がって買って景色を見ながらいただいていました。

このお店には、反対側の道路からすぐに入れるようになっているのですが、渓谷をこえさせるのですね。空を飛んでも味は変わらないと思いますけれど・・・・
 
このあたりはお餅がご馳走で、団子もあちこちで
食べられます。この近くにも、この団子屋さんだけでなく、別のお店がありましたし、道の駅でもやはり、売っていました。


厳美渓から15分ぐらいのところです。
 
征夷大将軍・坂上田村麻呂なんて、東北地方の人々には何となく懐かしいような気分になる名前ですが皆さまはいかがでしょうか?
 
千二百年くらい前、この達谷窟には悪路王(あくろおう)というもの住んでいて、人々を苦しめていたと言います。
 
そこへ坂上田村麻呂が征夷大将軍として悪路王退治にやって来て退治したのだそうです。

清水寺(きよみずでら)で戦勝を祈願したのだそうで、この勝利は仏のおかげと思って、お礼として清水寺に似せたお堂を建て、百八体の毘沙門天像をまつったと言うのが、達谷窟毘沙門堂のはじまりなのですって。

天台宗のお寺なのですが、山門が真赤な鳥居です。不思議ですネ。ご本堂も朱塗りで新しいものでした。
 
岩の中にくい込むように建てられたお堂は火災で何度も消失して、これは昭和32年に再建されたものだそうですが、結構古びていて
 構造も面白く、興味をそそる建物です。
堂の西側の崖の面に大日如来像が浮彫りされています。磨滅・風化が進んでいますが、北限の磨崖仏だそうです。岩の表面が20年ほど前に見たときよりも崩れていますし、このままでは駄目だと思わされます。これは源義家が彫りつけたものだなんて言う面白い伝説がありますのヨ。伝説って愉快ですね。
 
絶対に信じられませんが、大きなスケールには感動します。
 
平泉・毛越寺・中尊寺・高舘などとさまざまな歴史的な面白さがありますが、この達谷窟はあまり話題にならないみたいで残念です。平泉一帯が世界遺産にならなかったのは少し残念です。
 

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