茫茫漫遊記 遠野紀行


遠野駅発。古民家。
500羅漢。
ふるさと村。福泉寺。
カッパ淵。 伝承館。

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外は明るいですけれど、中の方は目が慣れるまで
暗くてまごつきます。

この温かな春の日の当たる縁側の明るさをポインターをあててご覧下さい。


ふるさと村と言う施設がありました。遠野地方に残る古民家を移築して、昔日の遠野の風景を見せると言う形にしてあります。広い敷地のあちこちに野原があり、小さな池がありという設定で長閑な田園生活を彷彿させる雰囲気がありました。古民家の庭には桃の花が咲いたりしていて、縁側には温かな日があたり、おばあさんが座るのが相応しい感じがします。

桜祭りの間には、早池峰しし踊りを踊って見せるのだそうですが、私たちはその演じる時間にあわないでしまいました。踊り手達が、ホット一休みしているところでした。

ここで「ひっつみ」と言う郷土食と味噌おにぎりの昼食でした。

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福泉寺・多宝塔と下からでるのは五重塔です。

大正元年(1912年)に開山された新しい寺ですが、広い寺域内は整備され、さくら、つつじと見頃には素晴らしい風景になるでしょう。寺域内には新西国三十三番観音霊場、新四国八十八ヶ所などがまわれるように整備され、写真のような多宝塔、五重塔、日本一の大きさだと言う福徳大観音があります。この大観音は、二代目住職が戦没者の慰霊と世界平和を祈願して建立したものだと言うことです。樹齢千二百年のマツの大木を独りで彫り上げたといわれています。

五重塔は最北の五重塔だそうですが、観光バスではゆっくりできず、はるかに望むだけでした。


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「お手々つないで野道をゆけーば・・・」と歌いたくなるような野の小径を辿りました。今では見ることもないような明るい土の小径です。カッパが出たと言うこの「カッパ淵」は思ったよりも明るく、淵と言うよりは浅い流れのやや淀んだところと言う感じでした。もともとはこの流れは、ポインターで下から出てくる説明の安倍氏一族の館の堀だったのだそうです。
遠野物語のカッバガよく出た「小烏瀬川」(こがらぜがわ)とは違うんですね。

ここから伝承園までまた少し野の道をあるきました。野道を歩くのは楽しかったです。




カッパ伝承のある遠野の町らしく、常堅寺というところに頭に皿のある狛犬(駒カッパ?)さんがいました。
                       

淵の水辺はカッパの神を祀った小さな祠が建っています。カッパの神は乳の神様だそうで、母乳の出がよくなるよう祈願するとよいとされ、祠には、奉納した赤い布で造った乳型が供えて置かれています。

遠野のカッパは緑色の顔でなくて、赤い顔をしているのだそうです。これは赤子を意味しているとか、言う話でした。

  





オシラサマ伝承

昔、ある農家に美しき娘がおり、家の飼い馬を愛して夜になれば厩舎に寝てついには夫婦になってしまったそうです。それを知った父親は怒り悲しみ、その馬を殺して桑の木に吊り下げました。娘がその死んだ馬にすがりついて泣くのを見て、父はさらに怒り、馬の首を斧ではねたそうです。娘がその馬の首に飛び乗ると、そのまま空へ昇りオシラサマという神なったのだという話です。 馬をつり下げた桑の木で、その神の像をつくって祀ることになったのだそうです。柳田国男の「遠野物語」の六十九話にに入っています。
   

オシラサマは養蚕の神だともされていますし、眼の神様だとかさまざまでした。。

先述の娘が馬の皮を持って桑の木でつくった櫂を操って海に出て死に、流れ着いたら、その亡骸からわき出したのが蚕だとか・・・。と言うのもありました。馬の顔をした虫と言うところが、蚕を暗示していますね。

その他にもいろいろと語られていて纏めていうことのできない譚があるところが面白いですね。


遠野地方では、眼の神様となったり、子供の神様となったりして祈祷して貰うような風習があったという記述もあり、民間伝承信仰の複雑な成り立ちを思わせられます。


拡大図


最後に立ち寄った「伝承園」というところに、「遠野物語」の伝承・民話を柳田国男に話して聞かせた
佐々木鏡石の記念館がありました。ほとんどがこの人の語ったものをそのまま記録したのが「遠野物語」なのでした。確かに「遠野物語」は短い伝承または民話を沢山の項目に分けて記述している形です。
「遠野物語」「遠野物語拾遺」を読めば素朴な人々の祈りと喜怒哀楽が伝わって来ます

さて、ここで入ったのは茅葺きの古民家でした。目が慣れないと天井も板の間も黒くなっていますし、照明もあまりあかるくありませんので、足元注意に、頭上注意で入るのでした。

おしら様の部屋は、うす暗い廊下のようなところを過ぎた奥の方にありました。

うす暗く小さなその部屋の四面を覆い尽くすまでの圧倒的な「おしらさま」群でした。聞くと千体を越す数だと言うことでした。その妖しい雰囲気は言葉にできません。一人でこの部屋のいることになったら、恐怖を感じるでしょう。空気が淀んでいると言う感じがしました。 
伝承は伝承ですけれど、一般には蚕の神、農業、馬の神とされています。桑の木で作った三十糎ほどの棒の先に人の顔や馬の顔を書いたり彫ったりしてあり、それに布きれで作った衣を多数かぶせて重ねて着せてありました。四角い布がおいてあり、いろいろな願い事を書いてかぶせるのだとかいうことでした。

書いてある願いの中には「司法試験に合格しますように」などと言うのもあり、祈りもいまや人間の本質的な祈りとは違って、現世利益を求め、すっかり現実的になってしまったなと思わされました。
 
この部屋をでますと、囲炉裏のある部屋で、語り部が伝承民話を語っていましたが、観光客の皆さんに解るように語りますので、本当の生の方言がなくなりつつあると、しみじみ思わせられる語り口でした。

これで、遠野一日紀行は   ドントハレです。

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