茫茫漫遊記 遠野紀行


遠野駅発。古民家。
500羅漢。
   ふるさと村。福泉寺。
    カッパ淵。 伝承館。
 

   

故郷や どちらを見ても 山笑ふ  子規

山の中で暮らしていますのに山の中を走る列車で出かけるのが好きなのでしょうか。

連休の混雑を避けて、近間の旅(?)です。五月五日のこどもの日は
民話の古里と言われる遠野にでかけました。

盛岡で乗り換えてトコトコと快速列車で一時間余り、途中はこれこそ「山笑う」でした。いつもならば、桜さかりの季節なのでしょうが、今年は散り尽くしてしまいました。ところどころに山桜がのこっています。

ウグイスの鳴き声がして、その上、まるでうぐいす餅をならべたような雑木山。
(食いしん坊の連想はこんなものです)。
 
白雲を吹尽くしたる新樹かな 才麿
 
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遠野の駅前から、遠野の見所をまわる観光バスがでていますので、それに乗ることにしました。

遠野と言えば、民俗学の巨人である「柳田国男」とそして「遠野物語」ですよね。まだ、読んだことのなかった遠野物語文庫版を急遽購入して読みましたが、もう手遅れ。
 
「ヌスットツカマエテナワヲナウ」 なんて、民話に出てくる粗忽者みたいに素朴な私です。

ここは「千葉家」という長者屋敷ですね。山の中腹に石を積み、その上に建っています。典型的な曲り家ですここから見ると、対面には新緑の山。そして、それに囲まれた平が春を迎えていました。
       

春の苑紅にほふ桃の花
    下照るみちにいでたつおとめ  

 は万葉集の歌ですが、そんな感じのする日でした。緋桃、白桃。源平桃と盛り咲く遠野の盆地の風景はまことに長閑です。そこへ鶯がなき、林のあちこちには、眩しいばかりの山吹の花です。

さくらの季節は勿論素晴らしいと思いますが、新緑のこの季節は言いようもない空気です。
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五百羅漢像を幾所でも拝むことがありましたので、整えられているものと言う先入観がありました。ところがここの羅漢像は石に直接線彫りされたもので、私の先入観とは大変かけはなれていました。少し驚きました。

それも谷間にごろごろと重なり合っていて、整然たる像ではないのでした。その切実さにかえって心を打たれます。
登るのも大変な山間にあります。傍に格別なお寺があるわけではありません。お供え物もお供えするところもありませんでした。
 
自然の石に線彫りされている羅漢像です。
この地方は宝暦・明和年間にあった度重なる凶作によって、大飢饉となり、多くの餓死者が出て、親が子を殺めるなど、幾多の悲惨な最期が伝えられているそうです。
その犠牲者の供養の為に大慈寺というお寺の19代の義山和尚が、読経をしながら2年がかりで刻んだものだと伝えられています。

よく見れば幼い子供と見えるお顔の像もあり、心に響きます。数えると400余あるということでした。

積み重なるようになって苔むしていますが、長い年月の間に、谷をずり落ちたままの形になっているのだとか。私もいつもとは違って今日は神妙な思いになり、合掌しました。

そこまで登る道には全く手をいれていないで、自然のままだと聞きました。このようにキチンと整理したりしないで、自然のままにしてあるのも、民俗学の故郷とされているこの遠野の町の考え方を反映しているのでしょう。

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