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かき
 
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    柿 科 の 落 葉 喬 木  
 
 
 幼かった頃、わが家には柿の木が沢山ありました。
 それも用途によって違う柿でした。ただし、東北地方で  すから、殆どが渋柿でした。

 渋柿の中でも、渋を採る豆柿がありました。これは数が 沢山取れますが食べるものではありませんでした。渋を 採る年には、ちゃんとたたき落として、潰して渋をとりま したが、例年は最後まで木についていて、冬を迎えてい ました。渋を何に使ったかというと、渋団扇を自家製し  たり、渋紙と言う耐水性の敷物を作ったりするのに使っ たようです。幼い私は詳しく知りません。

 キザワシ柿が一本だけありました。形がひょろ長くて、  生のまま食べても渋くはありませんでしたが、美味しくは ありませんでした。秋田では珍しい甘柿でした。 

 渋柿の渋抜きは当時は「ユザワシ」ということで、どうい う風にしたのか詳しいことは知りませんが、今のように  アルコールで渋抜きをしたものよりは、絶対的に美味し くはありませんでした。でも、甘いものが少ない時代に  は、季節の食べ物でした。炬燵で食べるのが普通でし  た。懐かしいです。当時の柿には沢山の種がありました。
 
今日では渋抜きはアルコール・焼酎でするようになりました。味もいいですし、柿の種類も「平種なし」が普通ですから種が気になることはありません。

秋の終わりには、柿の簾ができて、あの干し柿が楽しめますね。場所によって名前はいろいろ・・・・。
熟柿もありました。じゅくじゅくになる一寸前に、冷たい熟柿をスプーンですくって食べる。幸福感がありました。

柿に関わる思い出は、おそらく沢山あるでしょう。

佐渡へ行きましたら、佐渡は柿の名産地せ、丈低く作られた柿の果樹園が沢山見られたことに驚きました。そして、夏の初めですのに、デザートが「柿のシャーベット」だったのに、また驚きました。
こんな季節はずれなのにと言う思いでしたが、果樹園の大きさをみて、なるほどと納得したのでした。

クロアチアでは「柿」は「カキ」と言う名をもっていました。

こんなに親しまれているのに、北海道では寒すぎて、柿はないのだそうですね。ほんとかしら?