50年以上も前のお話です。父がふとしたきっかけで、ダリアを植えました。何にでも夢中になる性分でしたから、丹精込めて世話をしました。
ダリアはそれに応えて、素晴らしい花をつけましたが、それが西洋料理の位置皿を溢れるほどの大輪でした。
大輪はいいですけれど、それを飾る花瓶はちょっとやそっとではありません。「大きいな」「見事だな」と褒められるだけで、最後まで庭・それも座敷からはるかに離れたところで咲いていたのです。
「過ぎたるは及ばざるが如し」ですが、私はまだあの堂々としたダリアを思い出します。
そしてあのような大輪のダリアは切り花にはせず、庭を飾るものだと言うことをしみじみ思います。
切り花にするのは、せいぜい20糎くらいまで、ポンポン咲きも可愛いです。
当時、わが家に滞在していた洋画家がいまして、
その大輪ではない他のダリアを大きな花瓶に無造作にたっぷりさしいれたのを画材にして、すてきな一枚を仕上げました。今も実家の玄関に飾ってあります。
その絵を見るたびに、父の丹精と、あの大きすぎたダリアを思い出します。