茫茫漫遊記 台北編2
台 北 1
台 北 2
○月○日 故宮の文物のいくつかをご紹介 その1





フラッシュなしですと、写真可と言うので、私の腕ではこんな程度ですが如何でしょう。玉の白菜は、思ったより小さかったですが、その精巧な実写には本当に驚かされました。ついている虫まで精緻に彫りこまれていました。豚の角煮にはついつい笑ってしまいました。玉なのにやわらかいとろりとした脂身。本当に美味しそうでした。文房具の箱は、フラッシュなしではその美しさはお見せできませんが、筆の軸はヒスイですから、実用品ではありません。
北京の紫禁城の方の故宮博物院は、建物の歴史がありますが、こちらは新しいものですからその点では比較できませんでしょうね。北京には、まだ行って居りませんので、いらっしゃったお方のお話をお聞きしたいものです。
顰蹙を買いそうな写真ですが、私の手で写してきたものですから、私の記念にすぎません。お付き合いください。
なお、故宮のホームページをお開きくださいますれば、すばらしい文物が美しい写真で紹介されています。出かける前に見て行きましたが、それでも実物がすばらしい。


陶磁器の美。 (故宮文物 その2)





これらは私の趣味でえらび、図録にはのっていないものばかりですが、いかがでしょう?どれひとつとっても垂涎ものです。
生意気なことを言うようですが、博物館の規模としてはここはあまり大きなものではありません。メトロポリタンや、ルーブル、大英博物館などと比較するのは無理です。三階までの展示スペースですので、特に研究するテーマがあるわけでなければ、ただ見てまわるだけならば、一日で大丈夫でしょう。
素晴らしい収蔵品を見尽くすには何年もかかるそうですが、それも何ヶ月かごとに展示替えされるのですべてを見るのは無理だとか。私たちは「わー!すばらしい」で終わってしまう観光客に過ぎませんでしたから、お恥ずかしい。
昼食にでたあと帰って来て、三時から映写された日本語のビデオ映写を見ました。ガイドはかえしていましたので、二人だけで帰りはタクシーを拾うつもりでいましたがしたが、もぐりの営業をする車がやってきて、「ホテルまで百八十圓のところ、百圓でいくよ」と正直そうに言うので、乗せて貰いました。あとで聞くと、それらはお土産屋の手先だったりするとか・・・。私たちは大丈夫でしたが、少々びくびくしたのが事実。無事でよかったと思いました。お土産は買わない主義の私たちでしたから、この運転手はきっとがっかりしたことでしょう。お気の毒様でした。因みに台湾の通貨単位は「圓」でした。日本円では360円ぐらいです。


偶たちの静かさと愛らしさ (故宮文物 その3)





ガラスケースのそとから写したので、ガラスの反射まで写ってしまいました。
いいでしょう?足を止めないわけには行きません。どれもこれも素晴らしいものばかり。心にひびくそれらの姿。そっとして寝かせてあげましょう。お馬のひづめの音がこの子を驚かさないでほしい!
故宮の名品のうち、かなりの文物が宋美齢と共にアメリカに移動してしまったとか、ガイドが言いました。彼女は富裕だし、教養もあるから、売ってしまうようなことはしないだろうけれど・・・・と,なんとなく皮肉っぽい言い方をしました。北京の紫禁城からは、名品がほとんどこちらへ運ばれてきたとそうですが、あの複雑なお国事情の時によくもこんなに運んだものだと、本当にびっくりするより他ありません。その中のまた名品がアメリカに運ばれてしまったとすればなどと、考えると眩暈がします。


絲琺瑯太平有象 天平美人か? (故宮文物 その3)





展示物の写真はこれで終わります。
あとは故宮のホームページをご覧くださいませ。
この(こうしほうろうき)と言うのは細い金属線などで造作した模様を琺瑯に付着させて焼造したものとあります。
ここでも目がまわりそうになりました。この象は台座にのった白象とその鞍にのった壷からできていますが、その巧緻な細工は気が遠くなるほどのものでした。気が遠くなるほどといえばこのほかにも、珍玩と言う部類のものは、ものすごかったです。「百聞は一見に如かず」です。右側の天平の鳥毛立女を思わせる婦人像はまた如何ですか。六頭身あるかなしかのスタイルの婦人ですが、その優雅な物腰がうかがわれます。写真の暗いのが残念ですが心が和みました。
故宮博物院のあと、ホテルで一休みをしてから迎えに来たガイドと一緒に、三越のある市の中心部の大きな展望レストランで夕食をしました。名前は忘れました。記憶力減退でダメネ!ここで、翡翠と言う字の入ったスープをたべました。本当に翡翠のような色のとろりとしたものが飾ってあったので、「これは何というヤサイですか?」と英語で訊ねましたら、ウェイトレスは私を日本人と見て(勿論ですよね)日本語が出来ることを知らせたかったのでしょうね。にこにこして「ソレワヤサイデス」と答えてくれました。心優しい私としては、とてもそれ以上は訊ねられませんでした。一体何というヤサイだったのでしょうね。


コンツェンツァイと言う青菜





この料理は台北についた夜、足裏マッサージに出かける前に入ったレストランでのものです。食べかけでごめんなさい。この青い野菜の油炒めがあまりにおいしかったのでお知らせします。日本では見たことのない青菜でした。(私の住んでいるところがひどい田舎だからでしょうか?)このとき、その名前を聞いたのですが、足裏マッサージの快感にすっかり忘れてしまいました。二日目、故宮から抜け出した昼ごはんのときにまた出ましたので今度は書き留めました。
コンツェンツァイと言うのだそうですが、ご存知の方いらっしゃいますか?日本でも手に入るのでしょうか?
調理は強火でシャッシャッと・・・と。プロの技でしょう。海老だとか、トコブシだとか、烏賊のすり身の揚げたもの等等、どれもおいしかったですが、一番はこの青菜でした家にいるときは、身体にいいとは思ってもなかなか好きになれません。せいぜいほうれん草、小松菜、チンゲンツァイ程度を義理で食べていましたが、この美味しさにはハマッテしまいそう・・・。
それからここでいろんな果物を食べました。その中で「蓮霧(レンム)」と言うリンゴの味のする果物が印象に残りました。初めての味でした。「龍眼(リュウガン)」「芭櫟 (グァバ)」なども出ました。メロンやスイカはいつも食べられるので、珍しいものではないそうです。


ホテルのベランダから見た夜景







たった二日間の台北でした。夕食を終わってから、ガイドはどうしても士林の夜市を見せにゆくと言って私たちを連れ出しました。
若い人たち向きだと思っていたので、気が進みませんでしたが、レストランのすぐ近くにあった台北車站からご自慢の捷運(MRT)に乗っていくというので、少し興味を持ってでかけました。地下四階から出るのこの電車はフランスから輸入したものだとか、ガイドは自慢しました。実際、思ったより清潔で明るくてよかったです。降りる駅の名前を間違えて行ったり来たりしました。ガイド自身これに乗ったことがなかったらしいです。ガイドはいつも車ばかりでしょうから・・・。
夜市は凄かった。押し合い圧し合いのさまは初詣の天神様よりも凄い!今はどうなったか知れませんが、昔のアメヤ横丁より狭い道路の真ん中にシートを敷いて売り物を並べている(違法だそうで、取締りがあるそうですが、そのときはサーッとシートのまま包んで逃げてしまうとか)ものですから、混雑は推してや知るべしと言うことです。
得体の知れない、それでも良いにおいのする食べ物、鳥の足先(腿ではない)を揚げたものの甘辛煮みたいなものを山と積んであったり、タンメンの様なもの、マントウのようなものetc。私たちはうなぎ屋の匂いを嗅いで歩くというような感覚で通り過ぎました。食後
でしたから、その点は大丈夫で、じっくり鑑賞するような感じで、ここは見てまわりました。ここで食事をする人々が多いのもわたしのオドロキ!でした。食の街・台北とは知っていても、これはこれはの風景でした。
食べ物だけではありません。すべてのものがひしめき合って売られていて、売り子が大声をあげ、立ち止まったら最後、何か買わされそうで、怖いくらいです。100円ショップが日本では受けていますが、ここでは十圓ショップがありました。三十六円と言うことですね。
そこで私たちは孫の手を二本買い、道の真ん中にデーンと不法な店を構えていた屋台店で五足百圓のソックスと、三百圓でベルトを二本買いました。喧騒の中ですから、損したのか得したのかさえさっぱり判りません。
ホテルに帰り、ほっとしても居られません。明日の朝は帰国すると言うことになりますから荷物を整理。午後十一時過ぎました。
ベランダからのぞんだ台北の街をうまく写すことはできませんでしたが、お目にかけます。
今回の旅行はこれで報告終わりです。オシャベリにおつきあい下さり有難うございました。


[上へ戻る][目次ページへ]