私と猫物語

それはも40年も前から始まります。

最初の猫は知り合いからやって来た三毛猫で本当の美猫で、ベル子と名付けました。
 
鈴をつけて遊ぶようになったとき、チョロッと独りで外出して近所のボス猫に振り回されて

敢えなくなりました。長男は2年生。ボロボロ涙をこぼしました。

そのことを知って、三毛猫の弟猫をもう一度、同じ家から貰いましたが、こちらは

器量が最低・・。黒い虎猫(だから雄です)、美猫とはお世辞にも言えません。

「ゴボウ」と名を付けました。方言で「ゴンボ」です。
 
みっともないゴンボはおばぁちゃん(私の姑)に嫌われましたが、のんびりとしていました。

そうこうしているうちに、2軒隣の家の猫がわが家にやって来て居着いてしましました。

魚屋だったその家では、わが家に引っ越してくれてよかったと笑います。白と黒の

ぶちの美男子で、「タロ」と名をつけました。タロはとても鷹揚な猫で、ゴンボと仲良く

やっていましたが、やんちゃなゴンボがある日庭に伸びて死んでいました。何か変なものを

食べたんではないかと、話し合いましたが、原因不明。タロに聞いてもニャーオと言うだけ

です。みっともない猫でも死んでしまえば可哀想に思えました。
 
タロは良い猫でした。血統書なんかなんにもついていないタダノネコです。のんびりと過

ごしていたのでしたが、おばぁちゃんは知り合いから、三毛猫を
貰ってきてしまいました。

押しつけられたのかも知れませんが、こちらは美猫でした。
三毛猫ですから雌ネコです。

でもタロがあんまり良いネコなので、女だけれど「ジロコ」と名をつけました。

ここで2匹になりましたが、ジロコは毎年子を生みます。血統書もないネコですから養子に

出すことがなかなか出来ませんで、毎年なやまされました。近所の家で貰ってくれたネコには

「サン」「シロ子」「ロック」・・・・
 命名にも苦労をしながら楽しんだんですよ。「ゴロ」だけはタロに

よく似ていて残して育てました。
 
そうこうしているうちに、タロが家出をしてしまいました。家出ネコ捜索の結果、実家の魚屋

ではなく、反対側のネコ好きのお宅に厄介になってかわいがられていたのでした。

性格の良いネコですから、大人のタロを養子にやって、その家で大事に可愛がって貰うこと

にしました。折々近況報告も貰って安心していました。そのお家が新築すると、タロはいつの

まにかひっそりと居なくなってしまいました。新築の家は居心地が悪かったのでしょうか。

それとも生来の放浪癖の故なのか、その後杳として行方知れずになりました。
 
さて、わが家のジロコは毎年子猫の養子先を探すわれわれを警戒するようになり、近所の

野良のボスと仲良くなり、放浪の果てに、帰ってこなくなりました。

「あの子は三毛猫で器量よしだから、どこかで良い生活をしてるワヨ」

冷淡に私達は行方も探さなかったのです。養子に出す苦労がなくなったと、内心よろこん

でもいました。
 
そこでわが家にはタロによくにていて養子に出さなかったゴロだけがいることになりました。

ゴロは獣医さんに頼んで去勢して貰っていましたし、男ですから子猫の養子先を探さなくても

いいのです。

ゴロはタロに似てとても性格が穏やかです。お魚好きの一家の中にいて、キャットフードなん

て言う健康食は食べさせたことがありませんでしたが、一番下の子が可愛がっていました。

段ボール箱に古いザブトンを敷いただけの寝床、あとは自由に出入りさせて、原始的な

日本ネコの飼い方だったと思います。

12歳を超えてから、随分体力がおとろえたようでした。知り合いのペット獣医さんは

お魚に偏っているから、いけないのだなんて言われましたが、ペットと言うよりもネコと言う

感じでしたから、気にもとめません。冷淡な家族でした。次第に衰えが進んで、ある日みると

歩き方が変です。
 
「中風じゃないかナ?ゴロは」

「ネコに中風ってあるの?」

「そりゃあるんじゃないかナ」
 
そんな会話をつづけて何日間が過ぎた朝のことです。揃って食事をしていると、ノロノロと

寝床から出たゴロが庭に降りて、縁の下に入ろうとしたのです。
 
「ダメだよ。縁の下で死んでしまったら大変だ!」

と、言う主人の声に、私はあわてて食事を中断して連れ戻しに立ちました。

必死で私の手をはなれようとするゴロを引っ張って、寝床に入れて出られないように蓋を

したのでした。ヒドイ仕打ちですね。はじめはもがいていたのですが、次第に静かになりました。
 
「どうなった?」

様子を見に立ったわが夫は患者さんを診察するときに使うポケット懐中電灯を取り出して

瞳孔を覗き込みました。

「あぁ、もうダメだな。瞳孔が開いている・・。ホラ見ろ」

「死にそうなの」

と覗き込む私と息子の目の前でゴロはカクンと静かになりました。

「ァ、もうダメだ。死んだナ」

「死んだ、死んだ、縁の下でなくてよかったヨ」

「末期の水を飲ませてやりましょうか。」

私は眼をつぶったゴロの唇を、濡らした脱脂綿でぬぐってやりました。
 
「仕方ないわね。さぁ、まず食事をしましょ」

何事もなかったようにゴロの傍で朝食をかたづけたのです。いつもと同じように・・・・。
 
今まで何度かやったように、庭の樅の木の下に穴を掘り、バスタオルで包んだゴロと、煮干し

を埋めました。蝋燭を立て、線香を立てて手をあわせました。今までのネコの中で一番長い

つきあいをしたゴロでした。

「ネコには何と言って拝むんだろうか?」

息子が真面目な顔で聞きました。

「南無ネコ大明神・・・で良いんじゃないの?」

「フムフムそうだね」

そんな具合にみんな平然としていたのです。
 
もうネコを飼うのは止めようと思っていましたが、ゴロが死んだことを知った知人が、さびしい

だろうからと、子猫をつれて来ました。ひねくれて考えると、その人も子猫の処置に困っていた

のではないでしょうか。

ゴロに似たぶちネコで、富士額の美猫の雄です。去勢をして貰って飼うことにしました。

でもゴロとは違って元気すぎて、落ち着きもなく悪戯ばかりします。

ゴロと比べてみる私達は可愛いと思わないうちに、憎らしくなりました。ジュニアという名前で呼ぶ

つもりでしたが、呆れてしまってつけた名前が「ゴエモン」です。
 
ゴエモンには苦労をしました。少し大きくなったらあちこち彷徨いて、果てには向かいの家の

台所で魚をとって来たそうで、その家のご主人が苦情を言いに来ました。仕方がないから紐で

つないで飼うことにしましたが手に余るのです。

毎日、毎朝、その取り扱いに溜息ばかりしていました。泥棒猫になったのは名前が悪かったの

かも知れないと思ったり、猫にもいろんな性格があるんだから仕方がないと思ったり、悩みの種

は3人の息子よりも猫の躾でした。こんな事件の間に、3人の子はそれぞれ独立し、舅、姑も

他界したのです。
 
ペット獣医さんにお願いして、預かって貰うことにしたのです。去勢もしているし、美猫だから貰い

たい人もいるんではないかしらと言うのが理由でしたが、その後の消息は聞かないことにしました。
 
今は猫を飼うことも、他のペットを飼うこともしません。旅行をするときに困るからと言う理由をつけ

ては居ますが、もしかして愛情が薄いからなのかも知れません。人間と言うペットをお互いに大事

にしている、今の暮らしです。
 
「オイ」とか、母親でもないのに「オカァサン」、そして父親でもないのに「オトウサン」と言うペット

ネームで呼びあいながら・・・・。

長くなりました。お笑いぐさです。