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時効になった密造酒でしょうか

 遠い遠い昔の話ですが、聞いてくださいますか?誰もが笑い話にしてしまうような原始的な話ですけれど、退屈しのぎにはなるでしょうか。
 私の住んでいたところは、小さな田舎の町。その町の中心となっている所から歩いて一時間ばかりかかる山の中の家に、理由はいろいろですが、しばらく隠遁生活をしていた父につきあって暮らしていた時期がありました。
 雑学をギュッと詰め込んでいたような父ですから、隠遁生活中も何やら、暇をつぶすためにさまざまな研究道楽をして楽しんでいたのです。瀬戸物を焼いてみたり、紙を漉いてみたり、麦芽糖を造ってみたり、いろいろな少しだけ生活に関連する実験をしていた父でした。
 事業としてはどれも成立しない、いわゆる道楽に過ぎない結果に終わることばかりでしたけれど。私はそんな父のよい相手でした。
 姉も、妹も興味を持たない囲碁や将棋までつきあったのです。話は逸れますが、このおかげで、私は結婚して生まれた3人の男の子に、囲碁や将棋の手ほどきを、暇のない夫に代わってすることが出来ました。それがいいことかどうかは別ですけれど・・・。
 長男が小学校に入って、父兄参観日に行ったとき、子供が作文を読まされました。親ばかの目からみて、いい子だと思っていた子でしたが、その読んだ作文には驚かされ、もう顔を上げておられませんでした。作文の書き出しがなんと、
「家のお母さんはお父さんよりも将棋が強いです!」
 と言うのだったのです。読みはじめたその部分を聞いただけでびっくりしてしまいました。これを聞いたご父兄の皆さんの視線は一斉に私の方に向いたのです。
 あとは何を読んだか聞こえませんでした。赤くなったか、青くなったかわかりませんが、とても顔を挙げられませんでした。
 将棋や囲碁は普通の家庭では、お父さんが相手をするものだと、誰もが思っていたのではないでしょうか。それも田舎ですからね。変な母親だと思われたことでしょう。
 田舎の町暮らしの母親として、優しくて、穏やかで、上品で、美人でなんて思われたい女心の猫っかぶりが、すっかりメチャクチャ剥がされたと言うわけです。
「お前は男に生まれて来るはずだったのだ」 
 といつも言っては、将棋と囲碁の退屈しのぎの相手をさせるような父に育てられた私でした。また、それが嬉しくもあったのです。
 さて、密造酒の話です。いわゆる密造と聞くと、濁り酒をイメージするとおもいますけれど、濁り酒は近所の人々がこっそり造っては、父の所に届いていましたから、それはしないのです。
 当時は酒の密造は盛んで、時折税務署の役人?が摘発にあちこちににやってきてたと言う話は聞いたことがありました。その摘発は昭和30年半ばごろにもありまして、密造の瓶を床下に置いて、その上に病気のおばあちゃんを寝せて置くだとか、海辺の村では、船に載せておいて、いざと言うときには、船に乗って逃走して、証拠が残らないように海の上で酒盛りをするんだとか、お役人を嘲弄することを、面白がって話しているのを聞かされたものでした。
 私の父の場合は濁り酒ではありません。買ってきた焼酎などに漬け込んで造る、密造とは言わない梅酒だとか果実酒でもないのです。
「さて、今夜はブランディーを造るぞ。」
「ヤーだ。また密造酒?」
「聞こえの悪いことを言うな。ヤマブドウ液をつぶして、ブドウ液を造ろうとしていたら、発酵して葡萄酒になってしまったんだ。そもそもブランディーと言うのは、葡萄酒を蒸留したものだ。失敗して葡萄酒になってしまったものを 美味しく飲むためには、必要な手順なのだ.。」
 信じがたいことを笑いながら言うのです。ならば、何もこっそりとしないで堂々とやれば良いのでしょうけれど、それでは捕まえられてしまいます。誰もそんなことをしているとは信じもしないでしょうけれど。
 ヤマブドウは自分の家の持ち山から出入りのものに採取させて、大きな瓶につぶして入れてあったのです。母は本当にブドウ液を造ると思っていましたし、アルコール発酵する前は確かにブドウ液として飲むこともあったと思い出します。ものすごく酸っぱかったと思いますが、細かいことは忘れました。
 その作業はいつも、冬の土曜日の夜と決まっていました。日中は隠遁 生活とは言っても訪ねて来る人が多かったものですから、夜、それも人が寝静まった時間のことです。
「さあ、みんな。寝た。寝た。ヨリ子、いつもの手順だからわかっているな。」
 どうして、私だけが密造の片棒を担ぐことになるのかわかりませんが、何だか面白くて そんな父の手助けをするのを、イヤイヤやっている振りをしながら、楽しんでいる私でした。面白い父を独占できるという感じなのですね。
 父にしてみれば、理科が好きで、実験が好きな私を便利に使えるのがよかったのでしょう。
 リービッヒの蒸留管をを2本つなげて、薄い板の上にセットして取り付けたものが、即席の密造用の施設です。父はそれを無造作に自分の部屋の隅に立てかけておいていました。
 4リットルかそれくらいの大きなフラスコに、失敗して葡萄酒になったと言う代物を入れて、ガンガンと火をおこした七輪に、アスベスト付きの網を置いてその上に載せます。
 蒸留管への冷却水は、バケツに入れて棚の一番上にセットしてゴム管を入れてリービッヒの蒸留管へつなぎます。水道もない山暮らしで、手押しポンプで水はくみ上げて使うのです。その前に大事だったことは、これをする臨時蒸留所である台所の窓と言う窓を外から見えないように閉める事でした。
 それからは父と私の二人の時間です。
 アルコールランプくらいの熱では出来ない仕事です。七輪の炭をバタバタあおぐと青白い炎が揺らめいて、高熱になったことがわかります。ガスなんかない山の中の暮らしですから、この原始的な熱源と、蒸留管を冷却する水を供給しつづける労働力として、私は無償で働かされていたのです。密造者二人は、真剣な顔を寄せては、沸騰の始まるのを待ちます。
外は真っ暗です。締め切った台所で、母も姉も妹ももう白河夜船なのに、私と父はこうしてブランディーと称するものの密造に励んだのでした。
「出てきたぞ」
「順調、順調・・・」
 蒸留管から、タラタラ・・・・と出てくるアルコールです。
「ウン。ウン。良い調子だ。冷却水もちゃんと供給してくれ。」
 私は、冷却水入れのバケツに何回も給水します。そのころから私の頭痛は始まっていたのですが、疲れたからなのだと思っていました。
「よーし。これで終わりだ。」
「フーゼル油が沢山はいると悪酔いのもとだから、このあたりでやめる。」
 私には父の独り言に何の意味が込められているのかもわかりません。単なる実験助手をまじめにまた、楽しげに勤めているだけなのですから。
 父が声をかけて、密造は終わります。ブランディーの瓶にすれば3本ぐらいは出たでしょうか。
 最初に出てきたものは味を見て、遅くなって出てきたものと分けてありましたが、それらをうまく調合して、いい加減なものを作成する訳です。
 私は未成年ですし、お酒を飲むのはお正月のお屠蘇だけと言う子供でした。父が、口に含んでは味見をしているのを見ても、飲んでみたいとか味見をしたいなんて全く思わなかったのです。
 七輪の炭火を火消し壺に移して片づけ、蒸留管をセットした道具を父の部屋に片づける頃になると、私の頭痛はいよいよひどくなり、吐き気を感ずるほどになるのでした。お読みになられたお方は想像がつくでしょうね。一酸化炭素中毒症状なんですよ。これは・・・。
 多分、カナリヤでも飼っていたら、コロッと死んでしまったでしょうね。締め切った密造所に、ガンガン炭火を焚いていたんですから・・・。一度も換気をするなんてことを考えもしないで、4時間近くこもっていたんですから、おそらくかなりの濃度の一酸化炭素が充満していたのだと思います。
 それでも今の建築と違ってすきま風がどこからか入って来ていたでしょうから、助かったのだと思いますよ。ホントに・・・。
 そんなことに無知な父と私でした。父はデリケートな私と違って、一酸化炭素に反応しなかったのでしょうか。頭が痛いなんて言うことはなかったと思います。
 密造がうまくいくことに喜びを見いだして、感じなかったのでしょうか。私にはわかりません。片づけ終わって、あちこちを開放すると、密造所は何事もなかったように、いつもの台所になっているのです。証拠は隠滅されました。
「また、頭痛か。いつもお前はそうなるんだな。寝不足だろうから、もう寝てもいい・・・。」
 富山の置き薬の中の頭痛薬を飲んで、私は寝にゆきました。この頭痛は朝には治っていました。
 父はその後、多分、にやにやしながら、ブランディーの瓶に調合した製品を入れていたのでしょう。
 朝になると棚の上に、悪戯のすきな父はそれに食用色素で年月が経過したように見せる偽造もしていたような気がします。日付を入れたラベルが付いて並んでいましたから・・・。
 この蒸留酒を樫の樽に入れて熟成して何年かしないとブランデーとは言わないと言うことを知ったのは大学に入って、少し勉強してからでした。
 一酸化炭素中毒に耐えながら、真剣に採取したものは単に失敗して葡萄酒になってしまたものから採ったアルコールに過ぎなかったのですね。
 大人になり、大学へ入って、ブランディーとはどんなものかをと言う味を私は知ったのです。あのとき蒸留して採ったあのアルコールは、勿論ブランディーと言える代物ではなかったのです。ほのかにブドウのかおりがついたアルコールに過ぎなかったでしょう。
 あれから60年近くなりました。一酸化炭素中毒は断りですが、私はもう一度あの経験をして見たいと思っています。
 そして父が美味しくもないのに、笑いながらブランディーだと称していた不可思議な飲み物を試飲して、痛烈な批判をして見たいと思っているのです。

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