七夕まつりが近づいてきました。幼かった頃、七夕の飾りをみんなで作ったことを思い出すのです。皆さまもいろいろ思い出がおありでしょう。
「キョウハ タナバダサン ダガラ ハヤグオギネバダメダンシデヤ。ハヤグオギダンセ。ネボケデエニャデ ササド ハダゲサ エガニャバ ツユッコホセデシマウンシヨ」
(今日は七夕様だから、早く起きなきゃだめでしょ!。早く起きなさい。寝ぼけていないで、早く畑に行かないと露が乾いてしまうかよ)
七夕様は夜の星祭りなのに、その日は早起きを強いられるのです。なぜなら竹に飾る短冊にはいろんな願い事を書くのですが、それを書く為の墨をする水を畑からとってくるのです。不思議ですか?
それは里芋畑です。昔の田舎では、旧暦の七夕でした。その頃の里芋は葉を大きくひろげています。その葉に溜まった朝露を集めなければならなかったのです。お椀をそれぞれ持たされて里芋畑へ行きます。朝露が葉っぱにころころと玉のようにたまっています。
蓮葉の濁りに染まぬ心もてなにかは露を玉と欺く
(古今集夏-一六五 僧正遍昭)
は、蓮の葉で、池の水ですけれど、蓮の葉とおなじように細かい毛の生えている里芋の葉に溜まるのは、朝露です。それは天の川の雫・天から降りてきた水なのです。
一寸下手をすると転がり落ちますので、姉や妹とキャーキャー騒ぎながらお椀に集めたのでした。サトイモの葉なんてご存じない方も今ではいらっしゃるでしょうね。
今は短冊も筆ペン?でしょうね。墨は墨汁でしょうか? 私は色紙を書くとき以外は硯で墨をすることはしなくなりました。日本人なのにダメですね。
塀際に孟宗竹の小さな林を育てている家でした。春には筍を掘って食べました。
もちろん筍として食べましたし、祖母は瓶詰めにしてお正月料理まで保存していました。柔らかい皮の部分はわかめと一緒に煮たり、みそ汁の具にしたりしたものでした。
祖父はいつもそのなかから、七夕飾りのために一本切ってくれるのでした。当時、七夕祭りはあまり盛んに行われていたわけではなく、わが家の竹かざりは大きかったので飾りの短冊も沢山必要でした。でも今から思うとまことに貧弱・・でした。
今日、あちこちの街で行われているような、華やかな飾りもなく、単純に色紙の短冊に願い事をかいて吊すという、まことに鄙びた七夕かざりでしたが、家中の人々が一緒になって遊ぶ気分で、とても温かい行事でした。
まぁ、そんなことはとにかく、学校から帰ってくるとその水で墨をすり、五色の紙でつくった小さな短冊にあれこれ書きました。この五色にも意味があるんだそうですね。
大昔は木の葉に書いたのだそうだとか、難しいことを祖父が言いましたが忘れました。何を書いたかなんて聞かないでください。「美人になるように」なんて書きませんでした。だから今このていたらく・・・・。
そして、何だか書き付けにつかったような和紙の帳面を細く切ったもので紙縒を作り、それを穴をあけた短冊紙にとおして、竹にむずびつけます。一晩だけのものですから、
まったくいい加減にくっつけばいいという程度。
旧暦の七月七日の頃が一番、牽牛 織女と天の川ははっきり天空に見えますね。
天の川をはさんでの牽牛・織女の物語は、二千年以上も前に中国でできたお話だといわれています。
機織りに励んだ織女にちなんで、技芸の上達を祈る「乞巧奠(きこうでん)」という宮中行事が日本へと伝わったのだそうです。
なんで、「七夕」と書いて「たなばた」って読むのでしょうか。日本の行事と「七夕」の節句の行事が重なっているんですってね。やはり物知り?だった祖父が「七月七日の夜に布を織る 棚機女(たなばたつめ)から来ているのだ」なんて言っていましたけれど、意味がはっきりわかりません。その内解るかも知れませんが、今の時代ではもう不必要な知識でしょうかね。
古事記にも記されているそうですが、天から降り立つ神のために美しい衣を織る棚機女(たなばたつめ)のお話と重なっているので当て字になったのでしょうか・・・・。中国で「双七」と言う日なんだそうですね。その夕べが「七夕」。
そして、祖母はその日には必ず「焼き餅」という素朴なお菓子を作りました。餅米の粉を多分水でこねて、つぶし餡を包んで、今川焼きみたいな形にして油を敷いた天板で焼いたものでした。黒ごまをぱらぱらとはりつけて・・・・。
「焼き餅」と言っていましたが、本名は知りません。七夕の織り姫と牽牛の逢う瀬に焼き餅をやいたのでしょうか。そうだとしたら面白いんですがネ。祖母は私と違ってそんなジョークを飛ばすような人ではありませんでしたけれど、もくもくと焼いていた祖母の心の中を、そのように想像して私は面白がります。
実際の私は食べたことしか覚えていません。素朴な食べ物でした。
そして最後に、飾りを付けた竹の利用です。太いところは竹竿になりました。
枝葉は祖父が束ねて葉っぱがとれるまで池に沈めて置いて、それで竹箒を作らせたのです。
毎年新しい竹箒ができて、私たちは庭掃除にそれを使わせられて、こき使われたのでした。