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オーバーナイト・ウォーキングと蛍の思い出

 今日は思い出話の呟きです。
 蛍の季節がくると思い出すことがいろいろあります。まだ蛍の季節には少し早いですけれど、今日はうずうずしているジャジャ指 (この指の 持ち主はじゃじゃ馬)を遊ばせることにします。
 なんと27キロもある話ですから、とても長くなりますが、お疲れになりませんように ペラペラペラッとお読みくださいませ。
 今年、中学校の卒業式に関白様が行ったのですが、「仰げば尊し」も「蛍の光」もなしでしたって・・・・。
 もはやそれらは 
「あったりまえよ!時代おくれ!」
 なんですね。歌うとしたら
「ネットで検索 すらすらす~い」
 になってしまいそう・・・・・。
 私は蛍雪の功と言って努力を強要され、受験雑誌は「蛍雪時代」の世代です。今だったら蛍の光で勉強なんてためしてみようかななんて巫山戯たとしたら 「眼が悪くなる!」とお母さんがゴシンパイ。
 それよりも読むことなんか出来ませんよね。窓の雪なんかためしてみても 明かりの足しにもならないのです。
 私も「蛍の光」や「窓の雪」で文読むと言う程度の努力をすればもうちょっと役にたつ女でいたかも知れません・・・・。
 だからこんなふうに 台所で煮物をしながら「♪振り返ってもそこにはただ風が吹いているだけ~♪」と口ずさむと言うありさまになりましたのです。ハイ。
 昔、といっても40年くらい前の事です、ボーイスカウトに入っていた息子と、オーバーナイトウォーキングをしたことがあります。
 6月の末ごろです。夜の9時集合で、27キロのコースでした。女の参加者は親の会の私だけでした。元気ががよかったですね。昔は・・・・
 Tシャツ一枚にズボン(ジーパンなんて言うのは、当時 私のサイズのものはありません。)です。首にタオルを巻いてズック靴(スニーカーなんて言うものではありません)と言う装備でした。
 私より5,6才年上の隊長さんが引率です。よーし、負けないで歩いてやろうと私は意気込みました。中学生達は27キロ・20人くらい。小学生4年から5年までのカブスカウト(やはり20人ぐらい)はその半分くらい
の距離を歩くのです。カブスカウトは途中でバスに乗せて貰うのです。そしてボーイスカウトの落伍者はバスに拾って貰うのです。
 私は勿論27キロのコースです。元気いっぱいで、子供達を励まして歩くつもり 角館の高校前から、田沢湖まで歩いて後、田沢湖畔を3分の1ぐらい歩いて、山の中の小さな村落までと言うコースでした。
 1時間に6キロくらいの速度で歩きます。最初のうちは、みんな元気で揃って歩きました。8キロくらいまで来ますと、カブスカウトはそろそろ駄目な子供が出始めます。
 「ここで休憩!」隊長の声がかかり、あめ玉が配られました、今の子供達はホントに弱虫です。どこへ行くにも親たちと車を利用するのが当たり前みたいになりだしていましたからね。
 目的地までの間に、3回ばかり休憩して、そこで落伍者は拾われるのです。ここではまだ落伍者はいませんでした。2回目の休憩地は車の道路からの分かれ道、そこから田沢湖の方に少し狭い道路になります。そこからは
 本当に人家が全くない何キロかが続くのです。都会の夜とは違います。いらしたことのある方はご存じでしょうが、本当に正真正銘の田舎なのです。街灯もない田圃の真ん中に延々と2車線がやっとの道路が続くと言う具合になりました。
 子供達は少し疲れて次第に列がバラバラになり、元気な子供は早く歩き、少し疲れた子供はノロノロと 隊長に励まされて歩きます。
 私はまだまだ大丈夫で、隊長の助手をつとめて、弱虫の男の子たちに 
「ガンバレデャ!。オメダヂ オドゴ ダベ? オナゴ ノ 小母サンダテ コンタフニ アルッテルデャ。ガンバラネバダメダデャ!」 
 と声をかけて気合いを入れました。
  *訳・「頑張りなさい。あんたたち 男の子でしょ。

       女のおばさんだってここんな風に歩いているんだよ。

       頑張 らないと駄目じゃないの!」
 すると顎をだしてベソをかいている男の子からかえってきた言葉は
「シタタテ 小母サンダバ大人ダベッタ? オラダヂ子供ダデャ・・・・。」
  *訳 「だって、おばさんは 大人でしょ? 僕たちはまだ子供だよ~。」
 でした。これには呆れるどころかギャフン! お返しする言葉がありません。
 隊長はそんな弱虫達と一緒に 歩くことになり、私は前を行ったボーイスカウトたちを追いかけて離れました。
 先を行った子供達は中学生で、運動部なんかに入って鍛えているので、その速さはたいしたものです。追いかけてついていくつもりの私はどんどん置いてけぼり・・・・・。マラソンの最後尾についているような気分とはこんなものでしょうか遅れてしまう小母さんなんかは、全く気にもとめない。
 いろいろと話をして、大声で笑いあったりしてスタスタスタ・・・・。どんどん離されて間もなく見えなくなってしまいました。街路灯もない山間の道なのです。お月さまも、どんよりとした梅雨の季節ですから、雲の陰で、ほとんど真っ暗です。ただ、道路の真ん中であることを示す白い線がぼんやりと見えるだけなのでした。
 道路沿いに谷川が流れていて、水音がします。春先にはネコヤナギだと喜ばれる柳の茂みが谷川の岸辺にざわめいています。そんな道を一人で歩いていたのです。時折雲の切れ間からぼんやりと月の影が見えるだけです。
 そして、風が杉林の上を過ぎるとザワザワと音がします。前にも後ろにも人がだ~れもいないのです。柳の茂みから不意に音もなく 水金色の光が幾筋もスイーッと走って出たではありませんか。
「ウワッ!!!!!」
 人魂なんて信じるような純情も持ち合わせていない私ですのに、図々しく落ち着いているはずの私ですのに、思わず声をあげて 走り出していました。 
 その時の顔はどんなだったでしょうか。美人台無しだったことは疑いないことです。涙が流れて来ました。
 風がザワザワ、光がスイ~っとですよ。それが蛍だと言うことがすぐにわかったんですけれど、やっぱり、不意を打たれるというのはこんなことでしょうね。ほとんど15キロ以上も歩いたあとだったのですが、完全に夢中になっていました。
少しして、蛍なんだからと走るのをやめましたが、心臓のドキドキは長く続きました。恐怖の思いも長くつづきました。こんな真夜中(1時過ぎていました)、一人で山道を歩いていることは異常な緊張です。
 大きな声で歌って元気をつけようとすると、ウワ~ン、ウワ~ンとあちこちから木霊がかえってくるので、ますます恐怖がつのるだけ・・・・・。流れた涙はすっかり乾き、引きつる頬です。
 大丈夫、蛍なんだっから怖くないと自分を励ましますが心臓のドキドキが聞こえるくらいです。叱咤激励して、ひたすら歩きました。                       
 つづきをお読み頂けますか?
 田沢湖畔に出ると、湖岸には明かりをつけたバスがあり、そこに副隊長が待機していました。そこからあと湖畔の道を辿ると 5キロくらいで、最終目的地の村落の集会場があるのです。
「ア、一人ニナッテシマタンシナ。アドノシトダヂ 遅レデクルナダナ。」
 *訳・「あ・一人になってしまいましたね。あとの人たちは 遅れて来るのですね。」  
 当然のことなのにそんなことを平然と言いました。彼は歩かないで救助隊を預かっただけですからね。
「アド。モ少シダンデガラ、シトリデエゲルンシベナ」
 *訳・「あとはもう少しですから、一人でもいけるでしょうね。」
 私も意地になっていますから、それに駄目だなんて言うのは悔しいですから
「アドナバハ、湖岸ダンテガラ ヒラゲデ メルベンテガラ、一人デOK。 アドノシトダチ待ッテエダラ何時ニナルガ ワガラネェオノ。マテナノエラレニャンシベタ」
 *訳・「この後は湖岸だから 視界がひらけて見えるでしょうから、独りでOK。

      あとの人たちを待っていたら何時になるか わから ないですもの。

      待ってなんかいられないわよ~。」
 なんて、すっかり強気な発言です。さっきまで、蛍で震えていたことなんかなかったような顔、涙をボロボロこぼしたなんてこともないふりです。
「ウダンシナ、シタラ キチケデ ガバッテ エテタンセ」
 *訳・「そうですねぇ。そいじゃきをつ けて頑張って下さい。」
 少しだけ敬語を使ってくれましたよ。びっくりしたんでしょうね、手を下にして振って歩きますから、血液が手の方に行ってむくんで、指輪がきつくなって抜けなくなっていました。これでいよいよ離婚は出来なくなったと言うわけです。
 とにかく歩くことにしました。先ほどまでの道とは違って真夜中でも安心みたいです。小さな峠の坂道を上り下りしたら、最終目的地の集会場のある村落です。村落の入り口でまた別の副隊長が道を教えてくれました。

 やったぁ!到着は午前2時です。
 途中でバスに拾われて、歩く私を追い越していったカブスカウト達が、もう寝ていました。
 私を置いてけぼりにした中学生のボーイスカウトは、お握りを貰って、お茶を飲んで笑いあっています。彼らは 今晩はここで泊まり、明朝バスで帰宅することになっているのでした。
 お世話をする父兄の方達のなかには、知人もいて、私の快挙?に驚いていました。そうですよね。女だてらにと言うかんじですからね。
「一休ミ シタラナンタダンシガ?」
 *訳・「一休みしたら如何ですか?」
 ときく人がいました。そこで、お茶を一杯いただいていたら、車で集会場に来て 世話をしていたカブスカウトのお父さんが
「エマ 車デ エサ キャルガラ、 エッショニ ノッテ エガネンシガ?」
 *訳・「今、車で家に帰りますから、一 緒に乗って行きませんか?」
 と、声をかけて来てくれました。渡りに船(帰りに車?)です。
「ハイハイ アヤ エガッタ! ナントガ ノセデッテタンセ。」
 *「はいはい。あら~よかった! どうか乗せていって下さい。」
 帰り道の途中で、隊長が引率していた遅れの一団がノロノロと歩いて来るのに逢いました。ノロノロでも最後まで歩いたのですから、まぁいいとしておきましょうね。
 帰りの27キロは速かったこと、速かったこと。30分で帰り着きました。制限速度60キロです。
 途中の杉林の所では、蛍ではなく、狐かしら何かしら、きらりと車のライトを反射する獣の目を見ました。あのとき、蛍だったからよかったけれど、歩いているときにこんなケモノ?にあったらどうなっていたんでしょうか。涙どころじゃなかったでしょう。気絶!してしまったかも知れませんね。熊も出没する地域なのです。いくら強心臓の私でもとても叶わないですよね。餌になっていたかも知れないのに、よくも一人でここを歩いたものだと、考えたりしました。 ケモノの方で敬遠してあらわれなかったのかも知れません。 おぉ 神様! です。
「コナダリナバ イロンタ ケモノ エルンシガラナ。アレダバ キヅネダンシベオン」
 *訳・「このあたりには いろんな獣がいますからね、あれは狐だと思 いますよ。」
 狐?の目というのはあかりを反射すると本当にキラリと光る青く澄んだ色をしています。
 これは帰ってからの話題になりそう・・・・。立ち止まってまっすぐに車の方を向いていました。
「キレェダモンダナンシ。ケダモノノ マナグダバ、アンタフニ メルベノモ シトノ マナグナバ アンタフニ アオグ ニェベタナンシ」
 *訳・「きれいなものですね~。獣のめはあんな風に見えるんでしょうが、人間の目もあんなふうに青くないのでしょうね」
「シトノマナグダバ ナンタフニメルガ タメシタゴド ニャガラ ワガラニェンシナ」
 *訳・「人の目がどんな風に見えるか試したことがないから 解らな いです」
 なんとクダラナイ話をしたんでしょうね。全く疲れたと言う感じがしませんから、の~んびりとしての30分でした。
 「只今」とこっそりと小さな声をかけて帰った家では一番下の息子と、主人達は私の無事帰宅が当然と思っていたのでしょうか。白河夜船です。帰ったかとも声をかけてくれませんでした。冷たい!! 全く心配していてくれない!
 ですから、私はあつ~いお風呂に入ってまずは床につきました。指が太ったくらいで、なんの変わりもないのでした。
 さて翌朝のことです。私は主婦としていつも通りの生活をしました。多分かなり、脚にくるだろうと思っていましたのに、なんと平気なのです。手のむくみもすっかりとれていました。まことに健康体!
 家族の食事の支度をし、いつも通りワイワイと過ごしてから、郵便局かどこかへ用足しの行くことになりました。
ボーイスカウトの息子も帰って来ましたし、隊長さんの家の前を通りますから、ご機嫌伺いをしてと言う気持ちで顔を出しましたら、奥さんが言いました。
「アヤ~ナント クタビレダドテ、マダ寝デルンシデャ!」
 *「あら~、なんと疲れたと言って,まだ寝ていますよ!」
 私は平気なのにネ。何日かしてから逢ったとき、隊長さんが白状しました。
「ホントノゴドイエバ トジュウデ交替シテモラウゴドニナッテダンダドモ、サドウサンガ スタスタドエグモンダガラ、
交替スルワゲニ イガニャグナテシマテ 、歩キ通シテシマタナダオノ。草臥レデシマタ~!」
*訳・「本当のことを言うと、あのとき 途中で交替して貰うことにして いたんですよ。

     でも 佐藤さんがすたすたと行くものですから交替するわけにいかなくなってしまって、

     歩き通してしまったんですよ。すっかり草臥れました。」
 大笑いですよね。それにしてもあの頃は元気いっぱいでした。それがこんなになってしまいました。蛍が飛ぶ季節になると必ず思い出すことです。♪♪若かったあの頃、何も怖くなかった~♪♪ 
 そんな私でも白状すると 暗闇の林と谷川の音と、蛍の光はコワカッタですよ。熊でなくてよかったと今でも思います。ながながの物語。お読みになるのがたいへんでしたでしょ?
 お疲れ様でした。でも27キロ歩くのよりは楽だったと思いますよ。
 あのときベソをかいた男の子達も、元気にそだって、今は子供の親・PTA会長だすって。過去を知っている私は少し煙たい存在かもしれませんね。声を掛けないことにしています。

                                                         終わり。

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