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形見

 妻の美世を亡くしてから三ヶ月経った。陳腐な言い方だが、アッと言う間だったような気がする。
「私には仕事があるから、いつまでも綿々として妻の思い出に浸っているわけにはいかない。」
 周囲の人々は私を憐れみの籠もって眼差しでいたわってくれるが、その人達の思うほど、生活の面で不自由しているわけではない。実際、美世が死んだ時は、女々しい話だが、これからどうして暮らしてゆくのかと嘆きが先にたったけれど、仕事に追われる毎日に紛れていることもあったが、死ぬことがわかった段階から覚悟が少しずつ出来ていたこともあって、三ヶ月もしたら、妻の亡い生活が軌道に乗ったような気がする。
 まだ六十歳にならない私だから、順応してもおかしくはないだろう。娘の律が、一週間に一度、金曜日か土曜日にやってきて、美世とそっくりな世話の焼き方で身のまわりを見ていってくれる。
 そして、近所の人がとてもいい家政婦さんを世話してくれて、二日おきに掃除、洗濯、買い物なども見てくれていて、一人暮らしとはいいながら結構不自由なく過ごすことが出来ている。死を覚悟した美世がすっかり整理して行ってくれたこともあり、変わりなく校務につくことが出来ている。ただ一つだけ、以前の生活と変わった習慣が出来た。
 毎朝仏壇の香をたいて、水を替え、お茶を淹れて一緒にのむことだ。律はそんな私を可哀相だと言って涙ぐむが、美世のためにそれくらいのことをしなければならないひけ目が私にはあるのだと言うことは知らないだろう。
 ひけ目、と私が思っているのは、死んでいく美世のために何もしてやれなかっただけでなく、美世が死ぬ病気になるまで、心の中で若い頃の思い出を一人楽しんでいたことに由るのである。
 実際に妻にたいして疚しいことは何もしてはいないのだが、心の中の不倫が私をまだ苦しめるのだ。
 あの日、いつもより気分がよいと言って美世はべっどを少し起こしていた。抗癌剤で抜け落ちた髪をスカーフで隠して、みにくくなってゆく姿を私に見せるのは悲しいといつも繰り返し言ったものだった。
「ねぇ、私川井のすみ子さんにすっかりお世話になっているんですよ。あなたがいらっしゃらない日は、必ず顔を見せて、励ましてくださるのよ。」
「うん、そうか。よかったな。」
「それで、私はあの人を羨ましいと思っているのよ。若くて、明るくて、私にないものがみんなあの人にはあるんですものね。」
「我がままなんじゃないのか。あの人は結婚もしないでいるんだ。両親は嘆いているだろうよ。」
「我がままが出来るのもうらやましいのよ。それは兎に角、御礼をしなければならないと思うの。考えていたんだけれど、私の時間のつづきを生きてもらいたいと思って、腕時計なんかがいいんじゃないかしらと思うの。似合うような時計を一つ買ってきてくださらないかしら。」
「うん。時計か。お前の時間のつづきなんて言うのはお断りだけれど、御礼はしなければならないなと思っていた。値段も御礼に適当だと思うし、今度用意してくるね。」
「あまり安っぽいのじゃなくしてね。お願いします。」
 美世はどうしてあの時、あんなに真剣な顔をして言ったのだろうか。時計を買ってきて手渡したとき、
「あなたのお見立てだから、すみ子さんにはきっと似合うわね。」
 と微笑しながら言った。
 美世はみんな知っていたのかも知れない。いや、知っていた筈だ。そうでなければあの微笑の謎は解けない。私は美世の時間のつづきなんか、すみ子に与えるつもりは全くないのだけれど、美世のたっての希望だからと思って時計を買いに行った。その時の気持ちを今説明しようとしても難しい。
 何しろ、すみ子は美世と結婚する前に、結婚を考えた恋の相手だから・・・・。そして幸いにというか、美世の入院した病院の科は違うが看護婦長をしているのだ。
「私、先生のことを決して忘れません。誓います。」
 と、まっすぐに私の顔を見つめてすみ子が言った夜を思い出せば恥ずかしくなる。
「僕もすみちゃんをいつまでも思っているっていうことを忘れないでくれ。」
 などと言ってしまった。よくあんな言葉を言えたものだ。若かったからだろうな。すみ子と結婚出来なかったのは私にとって残念なことではあったが、美世との結婚は世間的に見て大成功と言えるだろう。私も不満はない。美世はよくしてくれた。
 教頭の娘なので、少々頭の上がらない岳父を持ったことになったのだけれど、よい妻だったと思う。おそらくすみ子には求められなかった献身をうけた。私がこうして校長になり、仕事に専念出来たのも彼女がしっかりと家を守ってくれていると言う安心感があったからで、本当に感謝している。しかし、
「いつまでも心の中で思っている。」
 と誓ったすみ子を、美世の上に重ねて比較していた事が無かったとは言えない。すみ子には、明るく甘やかな青春の雰囲気があった。
 ともあれ、病気の美世に頼まれて、すみ子への贈り物を買うと言う不思議な巡り合わせを感じながら、店員の出して並べる時計を選んでいた。お愛想のつもりなのだろう。
「奥様へのプレゼントですか。こちらなど如何でしょう。」
 と、言って特に高級そうなのを出して来たとき、苦笑がでた。
「いや、もう少し若い人だ。友達の奥さんのだから・・・。」
 などと言った。しかし、心に何となく拘りがあるので、嘘をつきたくなる買い物だった。少し高級そうな小型の時計を買い、 贈り物用にリボンをかけて貰って美世に渡した。レシートも添えて、やましいことのないのを示したつもりだった。
「ああ、本当にご迷惑をかけました。リボンもきれいだこと。これは私がすみ子さんへ渡しますから・・・。」
「うん、そうするがいい。きっと慶ぶよ。」
「あなたが選んで買ってきたのだと言うことも話してあげるわ。きっと感激するわ。」
「見立ての悪いのを俺の所為にするのか。」
「ええ、そうよ。ホホホ・・。」
 美世は笑って見せたけれども、私は少しギクッとくるものがあった。まあ、それはそれとして、あの頃の私は美世が死んでしまうのだと思うとやりきれなかった。
 校長と言う職名をいただいているので、教頭や校務主任に指図をして、助けて貰うことで、かなりの時間を融通することができて、美世の最期にも立ち会うことが出来た。
 校務の出張の合間には病院に立ち寄り、日曜は一時を必ず一緒に過ごすようにした。以前には考えられないくらいに一緒の時間を過ごした一月半ばかりであった。
 美世が健康だった頃にはすみ子の存在を心の隅に潜ませていることが、私の楽しみでもあった。美世がこんな病気にならなければ、私は死ぬまで楽しんでいたかも知れない。しかし、それは単なる夢に過ぎなかった。
 美世の存在が私にとって最も大切なものだったことを、ほとんで確実に死が二人を永遠に離してしまうだろうと知ってから気がつくなんて、私は何という馬鹿な男だったのだろう。すみ子を重ねて美世を見ている楽しみなんて夢だったのに・・・。すまないことをしてしまった。
 美世をあの病院に入院させると決まった日に二十七年ぶりかですみ子と逢って喫茶店に入った。美世の末期を彼女に看て貰うための挨拶のつもりだった。すみ子はまだ若く美しく、昔のままの明るさをまとっていた。
しかし、わたしはそれを最早遠いものとしてしか見ていなかった。今は私の大切な美世を喪う現実が心を占めていたのだから。
 病み衰えた美世は醜くなっていたけれど、その心にはすみ子のような激情はなく、静かに何もかもを包み込む安心感を与えるものがあった。私はいままで、その優しさに甘えてばかり過ごして来た。彼女の心に応えたことがあっただろうか。死んで行く美世にどうしたら私の真情がわかってもらえるだろうか、そんな思いでいっぱいだったのである。
 「死ぬ。」と自覚したときの美世の気持ちを私はどう受け止めたらいいのかわからなかった。ただ、おろおろしている様子を気取られまいとばかり努力した。
「死ぬなんて思うな。そんなことはない。死んでどうする。死ぬな。」
 心の中で呟きながら、見守ることしか私には出来なかった。県立病院に入院したいと言う小さな希望を叶えてやることくらいしか、私は何もしてやれなかった。 
 家の中の諸々のものに彼女は思い出を残した。机に座れば見えるこの庭の花々もみんな美世がそだてたものだ。福寿草は雪解けの庭に咲き始めたし、水仙もチューリップもするどい芽を出し始めている。私のまわりに美世の目が、幾千幾万としずまりかえって心を覗いているようだ、覗いてみられても悪いことをしてはいないのだけれど、彼女が生きていたころよりも、私は自由にものを思うことが出来なくなったようだ。
 ものを思えば、みな美世に見透かされているような気がする。
 今日は土曜日。いつものように律がやってきて、細々と世話をして行ってくれる。八月には子供が生まれるそうで、幸福一杯の様子だ。若いということは本当にいい。
 洗濯機のスイッチをいれて、お茶の支度をした律が、新聞をひろげている私の傍に来て、バッグの中から小さいケースを取りだした。
「ほら、お父さん。この時計知ってるでしょ、川井婦長さんにお母さんがさし上げたあの時計・・・。死ぬ一寸前に・・・。思い出があまり悲しいから、私に使って欲しいって。昨日いただいて来たのよ。」
「何だお前、秋田へ行ってきたのか。」
 私はびっくりして言った。律の手にしているのは、まさしくあの時、美世に頼まれて私が買ってきた時計だった。律は屈託のない声で言った。
「ええ、生まれてくる子供のために用意するものがいろいろあるでしょ。出かけようと思って予定をたてていたら、川井婦長さんから電話があって、病院を訪ねていったのよ。」
「そうか。それでどうだった。」
 私はつとめて平静な態度をとった。
「あの病院ね。今度、大学病院になったので移転することになったでしょ。それでとりこわされることに決まったんですって。」
「そうらしいな。」
「それで、一度、思い出のためにお母さんの亡くなった病室を見ておきませんかって言って下さったのよ。」
「そうか。」
「丁度、あの部屋が空いていて、お母さんが毎日眺めていた千秋公園の森、まだ芽吹いていなかったけれど、とってもよく見えて悲しかった。お母さんがあの森をどんな気持ちで眺めていたかしらなんで思ったら、涙が出てきたわ。」
「うん。」
「鳩が毎朝、決まったように森の上をとしまわるって、それを見ていると、もう一度元気になりたいと思うんだけど、夕闇が迫ってくると森は芯から暗くなって、もう駄目だと思うのよ、なんて。そんなことを行くたびに言
われたわ。そんなことを思い出しながら、しばらく椅子に座って森の景色を見て来たのよ。」
「そうか。よかったな。」
「川井婦長さん、大学病院になったのを機会にお辞めになって、仙台の病院の老人介護施設部門にゆかれるんですってよ。もう私も定年後のことを考えてね、なんて笑っていらっしゃったわ。まだ若いのに・・・。」
「定年後を考えるなんて似合わないような人だと思われるんだが、一人だとそんなことを考えるのかも知れないね。」
 と言う私を見て、律も頷いた。
「時計、頂いて来てしまったけれど、お父さんが選んでさしあげたんでしょう。お母さんが出かけられる訳がないから・・・。それにしては割にセンスがあるわね。川井婦長さんにピッタリの感じがする。でも、私にも似合うでしょ?。」
「うん、お父さんにだっていいところもあるさ。お母さんを選んだのだって、いいセンスだっただろう。」
「そうね。死んじゃったのが不満だけど・・・。」
すみ子が、律にあの時計を渡して仙台に行くと聞けば、その意味を想うのが当然だろう。そのめぐらす想いの中にしっか りと美世がいて、微笑しているのだ。その微笑は私の心を見透かしているような感じなのだ。
 美世は私と結婚して幸福そうに見えた。いや、たしかに幸福だったと私は思う。だが、すみ子のことでは割り切れない嫉妬があったかも知れない。そう言えば結婚した頃、「私を愛している、と言って抱いて下さい。」、 何度も言った。何をバカバカしい。そんなことを口に出して言えるものかと思いながら、その唇を唇でふさいでやったものだ。
戦中の教育を受けた私には、「愛している。」などと安っぽい言葉は言えない。しかし、すみ子には言ったんだ。若かったものだな。軽薄な私だった。
 子供が二人うまれ、順調な経過を辿ったわれわれの暮らしだったが、「愛しているか」と聞かれて、即座に「愛しているよ」と応えられたかどうかは疑問である。その言葉を思う時にはもすみ子が私の心の中にうかんでくるだったから・・・・。
 あれが甘い甘い青春の夢だと言うことがわかっていながら、美世には本当にすまなかったと思う。
 死の床に就いた美世を見ると、そんな自分が疎ましかった。私にはもう美世より他に大切な人はいなかったのだ。
「死なないでくれ、生きようと思ってくれ。お前がいなければ俺はどうすればいいんだ。なおってくれ。治してくれ。」 
手術を受けたあとで、余命が本当に短いと医師に知らされた時の私は全く狼狽えてしまった。せめてもう少し、ちゃんと美 世の方を見ていれば、こんなになるまで気がつかないわけは無かったのではないかと、自分を責めた。我慢強い美世。疲れた、疲れたと言うばかりで過ごして来てしまって・・・。
 律の結婚式が終わるまではと気を張っていたのだろうが、どうしてもう少し早く手を打てなかったのだろうか。私は・・・。 今更悔いても術の無いことだが。
 死が近いことを知っていて、それを言わずに秋田の県立病院に入れて貰いたいと言った美世。実家も近いし、姉もいるからと理由をつけたが、私は彼女の願いのままに受け入れて最期をあの病院で迎えるようにしたのだった。
 しかし、あの時美世は生きようとは思っていなかったように思える。死期を知っているような感じだった。
 入院してからの美世は、目に見えて衰えて行った。あの日も、眠っているようだったから傍の椅子にもたれて、窓の方を見て坐っていた。律が言ったように公園の森の夕暮れは不安を増す風景だった。するまいと思っていたが、大きなため息をついた。いつの間にか目をあけていた美世が、そっと小さな声で
「私を愛していて下さいますか。こんなにみにくくなった私でも愛してくださっていますか。」
 と、問いかけてきたのだった。
 私はそのとき「愛している。」と言う言葉の奥にすみ子がいないことに気がついたのだった。
「勿論のことだ。そして感謝している。お前がいなければ、俺はどうなるのかわからないのだよ。よくなって欲しい。」
「ええ。そうなりたいけれど、本当にごめんなさいね。」
 美世は薄く笑った。慰めに過ぎない言葉しか言えなくなっていた。科学の教師でありながら、あり得ない奇跡が起こることを願ったりしていた。それまで、美世を愛しているなどと言ったことはなく、肉体的な交わりさえも愛と全く無関係になしてきたような気がする。
 男がそんなことを言うのは女々しいことであり、美世を道具のように扱ってきたような気がするのだった。それはどの夫婦にも言えることだと思うのだけれど、私の場合はすみ子が心の底にいたために全く美世を踏みつけにしてきたような感じがあった。美世はよく耐えてくれたと思う。人間としても尊敬出来る榊教頭の娘で、きちんとした躾を受けていて、やさしく慎ましい人だと聞かされ、私もそう思っていた。
 結婚しろと言われて断る理由がないから結婚したというのがあの頃の私だった。お互いに助け合って、よい家庭を築きあげて行くようにと言う結婚式の祝辞をそのまま鵜呑みにして「よい家庭」を創ろうとした。
 美世もまた、そんな私によく協力してくれた。私は美世を理解ある同伴者として考えることが出来たのだ。考えてみれば、それが本当の夫婦としての愛だったのだと信じている。
 それにしても、あの美世を入院させるからよろしく頼むと、すみ子に告げたとき、どうして彼女はあんなに激しく泣いたのだろうか。 
 結婚しないで四十五歳になってしまった彼女に、私が少し負い目を感じていると言えば、自惚れかも知れない。美世との結婚は、すみ子も納得して賛成してくれたのだから、問題はないと思いながらも、小骨のような痛むものを感じ続けていた。「いつまでも先生を思っています。」などと、キラキラした眼で私を見ながら言った彼女だった。それに私も「君のことを決して忘れないだろう。」などといま思えば、歯の浮くような言葉を告げた。あれから三十年近くの年月が経っている。今更、私と美世のことを恨めしく思っているわけはないだろうが・・・。
 もしかして私を憐れんで泣いてくれたのか。そんな馬鹿なことを思うなんて美世はなんと言うだろうか。
「お父さん、今夜は恵一さんも来てこちらに泊まることにしたわよ。いま、電話でそう決めたの。久しぶりに熱燗ですき焼きにしましょうか。一寸買い物にいってくるわ。」
 あの時計を律は腕にはめようとしていた。はめ終わると腕を高くさし上げて、二,三度掌をまわして見せた。銀色の鎖が揺れて輝いた。
「いいわね。私にもよく似合う。」
 にっと笑って律が私の顔をのぞき込んだ。
「貰いっぱなしでは悪いだろう。何かお前からも御礼しなければ・・・。」
 苦笑する私にむかって、律は
「仙台に行ってしまわれるって言うことだったから、お父さんも一緒にお目にかかって御礼をしたらどうかしら。昔からの知り合いでもあるし・・・。その時何かご馳走してさしあげてもいいんじゃない。」
 と言った。
「そうだな。送別会もいいかも知れない。でもそれではお父さんに御礼させるようなものじゃないか」
「うふふ。判られちゃった。七月半ばまでは秋田だって言ってらっしゃったから、私から連絡して決めてもいいでしょ。決まり・・・。」
 屈託無く笑って律は買い物に出て行った。
 私はふと、美世と結婚する前、二十五年以上も前の話だが、横手のすみ子の家で、自分の異動と、すみ子の進学の送別会を開いて貰ったことを思い出していた。
 私は横手の高校で理科の教師をしていて、すみ子の兄は大学三年先輩であった関係で親しくしていたのだった。すみ子は高校卒業の十八歳。明るく活発な性格は私を惹きつけていた。私はどちらかというと愚直で、そんな性格はあこがれでもあったのだ。すみ子の両親が私の申し出を承諾しなかったのは、まだすみ子が若すぎたことなのだが、私には待つと言うことが出来ない理由があった。
 榊教頭の娘である美世との縁談に返事をしなければならなかったからである。いまにして思えば、すみ子と私との間の交流は現実とかけはなれたもので、愚直な私に遅れてやってきた青春の夢みたいなものだったかも知れない。
 あの送別会の夜、二人で入った喫茶店リンデンで、すみ子のご両親に結婚を申し込んで断られたことを浅はかにも告白してしまったのだ。あれは霧の深い夜だった。送別だからと言って飲んだ酒が私の理性を鈍らせていたのだった。
 あれは一つの過程として思い出せる。すみ子を傷つけた自分勝手な行為だったかも知れないけれども。その後での美世との結婚生活は私のすべてだったと思う。
 ここで、すみ子の送別会をするのは趣向として許して貰えるかもしれない。美世が死んでから三ヶ月、その前の半年以上の間、死へ向かう道程を、息をつめながら見続けた私なのだ。律の屈託のない言い方は、私を元気づけようとしての作為だとはわかるが、それに乗って見ることを、美世はもう許してくれるだろう。
「そうだな。あの時はすっかり世話になったから、連休に肇も一緒に秋田でテーブルを囲むことにしようか。」
息子の肇は秋田大学の教育学部の大学院生だ。律もいることだし、これからのことは二人で相談して決めていくだろう。美世がいれば結婚のことなど世話をやいたかも知れないが、もう本人の意志でいい年頃だ。これは別のことだが・・・。
「ただいま。」
 外に車のドアの閉まる音がすると、律と恵一が入ってきた。二人がいるだけで華やぐ思いがする。
「途中で拾って貰っちゃった。荷物を持たなくてもよくて助かったわ。」
「すみません、今夜は停めて頂きます。お父さんに一局ご指導頂きたくて。」
 二人は似合いの夫婦だ。二人とも私がさびしくなりそうな頃にやってきてくれる。律は手首をくるくると回して、さっきの時計を見せた。
「ねえ、昨日川井婦長さんから頂いてきてこの時計。やっぱりお父さんがお母さんに頼まれて、川井婦長さんのために見立ててきたんですってよ。いろんな人の思い出が入っていて、私、とても良いものを頂いたと思うわ。大切にしなきゃ・・。」
 私はそれを見て苦笑したつもりだが、ふたりには多分微笑していると見えただろう。 
 それから二週間が過ぎて、律はすみ子の返事を伝えた。一週間目に来たときは、どうしても連絡がつかないと言っていたのだ。急ぐことでないし気にしない振りをしてはいたが、やはり、すみ子のことが気になるのだ。
「お父さん、川井婦長さんは都合がつかないんですってよ。時計の御礼なんて思わないでくださいって。皆さんお元気でいらっしゃればそれでいいのです。お父さんによろしくですってよ。私、なんだか申し訳ないようだけれど、お母さんの形見でもあるから律さんの腕で、時間をつづけてゆかれるのが一番よいと思うのよって、何度も仰有って下さって・・・。涙が出ちゃった。それで私、ご好意を黙っていただくことにしたのよ。いいでしょう?」
「ああ、それならばそれでもいいだろう。」
「連絡がつかなかったのは、あの私が病院へ訪ねていった次の日だったかに、ご実家のお母様が亡くなられたからだそうよ。ずいぶん老齢だったから、あまり悲しくないなんて言っていらっしゃったけれど、ご両親がもういないっていうのはさびしいでしょうね。」
「ああ、そんなことがあったのか。私が横手高校にいた頃、三十年も前のことだが、よくお世話をして頂いたものだ。数えてみれば九十歳をもう超えているんだからな。そのうちご実家にお悔やみを申し上げておこう。川井婦長さんのお兄さんは私の先輩だし、定年を迎えてからはお目にかかることもなかったが・・・。」
「それでね。そんなわけなので、少し早く辞めさせていただいて、横手の方での身辺整理もしてから仙台に行くっておっしゃっていたわ。そんな事情なら無理も言えないでしょ。」「そうだな。そのうちに心がけておけばいい。お前と川井婦長さんの間のことだ。」
 私が少し落胆したと言えば、人は嘲笑うだろうか。妻を亡くして四月にもならないのだから少しひどいと思うかもしれない。私自身そう思って自嘲している。
 あの時計をすみ子に渡したと、美世が私に告げたのは、いよいよ美世の上に死の影がこくなり、医師からはもう時間の問題ですと宣告された頃だった。まだ意識ははっきりしており、病室に入っていくと、髪に手をやったり、襟元をなおしたりして、微かに笑ってみせたけれど、誰の目にも痛々しいまでのやつれであり、黄褐色になって見える肌は乾いていた。付き添っていた律の話によると、川井婦長さんと二人きりで話をしたいと言って、律を買い物に行かせたそうだ。何を話し合ったのかはわかれないが、ずいぶん長く話をしていて、律が帰ると美世の手を取って、すみ子が目を赤くしていたと言う。
あの日のあと、美世はいよいよ優しくなった。病み衰えて、優しくして見せることさえ痛々しいのに、いつも微笑をしているようになった。それまでは努力しての微笑のようだったのが、どうしてあのように神々しくさえ見えたのだろう。何かを悟った顔というのだろうか。
 すみ子と私とを結びつける感情は単なる遠い思い出なのだと思っていたのだったが、美世はこだわっていたのかも知れない。いやたしかにこだわっていた。口には出さなかったが、私と川井すみ子の兄が親しくて、家族みんな特にすみ子と親しくしていたのを凡その人が知っていた筈である。横手から異動して、結婚してからも、美世は何気なく川井の家のことを話題にもしたけれど、すみ子との関わりについては一言も口にしたことが無かった。 
 私とすみ子はあくまでも心情だけの関係しかなかったのだけれど、ずっと抱き続けて来た若々しいすみ子への思いには気づいていたと思われる。美世がそれを問いつめでもしたら、何もかも話してやったと思う。そうすれば私もすみ子のことをさっぱりと忘れて、美世を本当の意味で愛していたことに気がついたかも知れない。こういう風に思うのは美世の所為にする言い訳みたいなことになるのかな。
 しかし、疑心暗鬼に囚われていた美世だったと思えば可哀相なことをしたと思う。
「私、すみ子さんと話をしてほっとしたわ。」
 と、あの日言った美世の心がいまになって判るようなきがする。青春と言うたよりなく甘い、非現実的な夢を抱き続けた愚直な私が疎ましい。美世に辛い思いをさせていたのだとすれば何もかも私の責任なのだ。
「昏睡状態なのです。」
 と医師に告げられた美世の最期の頃の顔を私はつとめて忘れようとしている。唇をかすかに動かしているのを見て、
「お父さん、何か言っているみたい。」 
 律がむせびながら私に言った。私は美世の唇に耳を寄せた。
「私を忘れないでね。私を忘れないでね。あなた。」
「お父さん、なんて言っているの。」
 耳を寄せた律がこの言葉を聞いて、振り向いた。眼がギラギラと輝いていた。
「お父さん、言ってやって!。忘れないって言ってあげて!。」
 叫ぶように言う律を脇に立たせて、私は美世の耳許でいった。
「忘れるわけはないよ。美世、美世。」
 声を抑えて言う私を見て、律は激しく泣いた。
「私を忘れないで下さい。」
 あの末期の叫びは私の心を見透かしていたように思われる。忘れるわけはないと思っているのに、すみ子の送別会が開けないと律から聞かされたとき、少し落胆したのを美世に見られたような気がする。
 女々しいと嗤われても、私ももうすぐ定年になる。肇も律もなにも言わなくとも私の死に水は取ってくれるだろう。一人暮らしは大変だろうと言ってくれるひとも、出始めたけれど、私は生活の便利にために再婚する気持ちはない。
 美世と、美世と一緒に思い出されるすみ子、そんな二人の女を棲みつかせている私の心の中に、もう誰も入ってくることはできないし、入れたいとも思わない。愚直な人間で終わろうと思う。
 私が美世に渡し、美世からすみ子へ、そしてすみ子から律へと渡ったあの時計は、複雑なわれわれの思いをよそに、律の手首で時を刻み続けるのだ。
「私の時間のつづきをすみ子さんにあげたいの。」
 と、あの時美世は言った。その時間を刻むはずだったあの時計を、すみ子は律に贈ってくれて。私はすみ子に感謝しなければなるまい。私、美世、すみ子。三人の複雑な思いのこもる時計なのだ。律の幸福な時をいつまでも刻み続けてほしいものだ。
「お父さん、恵一さんが迎えに来てくれたから、帰るわよ。洗濯物はたたんで片づけたし、テーブルに夕食は置いてあるからね。ちゃんと食べてね。家政婦さんには一寸メモして置いたから、見て置いてね・」
「ああ、もう帰るのか。」
「ええ。」
 と、言う返事と一緒に仏壇のリンが鳴った。律が鳴らすと、リンも明るく、若々しく聞こえるようだ。
「お父さん、今日は失礼します。」
 恵一の声を聞きながら、階下に降りてゆくと、もう二人は車のドアを開いて乗り込もうとしている。玄関の石段のところに立って見送る私に
「来週はゆっくり来るから・・・。」
 と、律は言い、恵一の運転する車の窓からヒラヒラとあの時計の光る手を振って帰って行った。

 沈丁花が咲き出したらしい。夕闇のせまる空気の中でしきりに匂っている。

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