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おしゃべりなキノコたち・・・・・・

 谷間にひっそりと鎮まっているような小さな村のお話です。子供たちがよく入り込んで遊ぶ里近くの山でのことです。
そんな里山の林の下土のキノコ達も連綿とその命を継いで、人間を観察しているんです。
 昔の子供たちは自然が友だちでした。
 春は春で、夏は夏で、秋は秋で、そう冬は冬で・・・・。
 自然の中にたのしいことが一杯ありました。自然もまた、子供たちの友だちでした。

 

ヒカゲウラベニタケ

 私はヒカゲウラベニタケ。思い切って顔を出すことにしたのは二日ばかり前に降った雨で濡れた落ち葉の表面が少しだけ乾いた朝のことです。
 もっこりと土をもたげて、現れる時には格好の悪い茸です。その上そんなに美味でもありません。なのに私をみつけるとにっこり笑って
「今年もおまえに会えたな」
 と言う人がいるのです。毒キノコが多いイッポンシメジの仲間だけれど、私は食用になります。
 でもあの人が食べようとして私を見るのではないことを私は知っているのです。 とろうともしませんし、私よりも数倍美味しいキノコをあの人はどっさり篭に入れているのですもの・・・。
 私のせいいっぱいのお化粧・紫がかったピンク色がきっと誰かの思い出と重なって懐かしがっているのだろうと思うのです。
 それでもいいのです。そんな繰り返しが、もう何年も続いて・・・。あの人も白髪になって、皺がふえました。去年、
「おまえを見るのも来年までだな」
 とつぶやいて、私の傍でタバコを吸ったあの人。私が顔を出すクヌギ林が、砂防ダムの工事でもうじき伐採されることになっているからです。今年はことさらきれいにお化粧しましょう。
 喜んでくれる人を待つのも今年が最後。この林がなくなっても、やはり季節が来れば、私のことを思い出の人とともに思い出してくれると願って・・・。
 今日顔をだせば、あの人が来る頃にはひらいて、私のお化粧・紫かかったピンク色が一番美しい筈ですから。

 

ヘビタケ

 あら!お久しぶり。去年も私はあなたを見かけたわ。
 あなたの好きなヒカゲウラベニタケさんは、お化粧をはじめているわよ。そんなに綺麗だと私は思わないけれど・・・・。
 あなたは私には見向きもしない。でも、今年は最後だからちゃんと目にとめて行ってちょうだいな。ヘビタケって言われるのを私は好きじゃないわ。有名なテングタケの一族なんですもの・・・・。
 私の一族はみな美味しそうに見えて意地悪。愛されたことがないから・・・。
 素人さん達は食べられそうだと言って採ってゆくのよ。あなたはちゃんと判っているから見てもくれないのよね。少し残念。その点、ベニテングタケちゃんはお人好し・キノコ好しって言うのかしら。ちゃんと毒が有りますよって顔をして立っているのよ。わかってね。 
 一寸お化粧のしすぎではないかって、みんな陰ではうわさしてるんだけど、カワイイねなんて言って立ち止まって見てくれる人もいるから、羨ましいわ!
 私だって生まれたばかりのときはとても可愛かったのよ。毒があるからってあなた方は嫌うけれど、私も愛して貰いたい。茹でて塩漬けにして、長く置けば毒はなくなるなんて言う人もいるけれど、そんなの面倒ですものね。食べないのが一番 賢明!なんて言われて・・・。あーあ・・。
 生まれてただ成長して、短い一生。私は一体何かの役にたっているのかしらと考えることもあるのよ。
 ヒカゲウラベニタケさんも私も、この林と一緒になくなってしまうのだけれど、嫌われるだけの茸生(人生)だったと思うのは悲しいわ。
 あ!あなた。あなたの後ろ姿を見送るのも今年限りだから、ゆっくり歩いて行ってちょうだいな。

 

ベニテングダケ

 あー、やっとお化粧が終わったわ。お化粧がのらないと私の一生は意味がないの。エッ!この林がなくなるんですって?私が悪いことでもしたのかしら?ハエを殺すことだけしかしていないわよ。
 私は・・。私なんか[毒をもっていますよ]って、人間にはチャンと判るように毒々しいまでのお洒落をして立っているようにと言う、代々の言いつけを守って過ごしてきたのですよ。
 もし、私たちが悪いと言うのなら、おいしそうな顔をしていらっしゃるイッポンシメジさんの所為だと思うわ。あら、そうじゃないの?ゴメンナサイ。わたし、お化粧に夢中で、みんなの話を聞かなかったのね。
 それじゃせめて今年は頑張って胞子を遠くまで飛ばしましょう。そこでまた逢いましょう。ホラ、あの山の北向きの斜面。きっと居心地がいいと思うわ。
 昨日、ヒカゲウラベニタケさんに今年も逢いに来たあの人。私をチラリと見て行ったわ。
 オッ、今年もここにいたのか?なんて言ってくれたのよ。チョット肩をすくめて見せたけれど判ってくれたかしら。あの人、とても寂しそうにしていたのはこの林がなくなるからだったのね。胞子を飛ばしていつか別のところに現れても、あの人はどこだかわからないでしょうからね。
 ネェ。あなた。昔みんなが熱中した「君の名は」って言うドラマ知っていらっしゃる? 
 あんな風にいつかは逢えるわよ。茸生(人生)捨てた物ではないと思うわ。頑張りましょうね。あら、昂奮したら、お化粧が乱れちゃって・・・・。
 あなた光るヘアスプレーもっていたら今度貸してちょうだいな。

 

ツルタケ

 はははは・・・。俺様はツルタケじゃ。
 なんだか、となりのクヌギ林では、伐採だとかなんとかいろいろ話題騒然としているようたが、この松の木の下にあぐらをかいていられる俺様には関係がないだろうな。あの林には俺様のご先祖様がかなりの範囲で勢力をもっていたんだ。 
そんなことより、秋になるとやってきて、ヒカゲウラベニタケに優しい声をかけているあの男・・。どうしてそうなのか、誰も本当のことを知らないだろう?俺様はそれを知っているのさ。え、聞きたいだろう。
 今日はチョット機嫌がいいから、話してやろうか。
 彼の名前は、タッチャンと言うナダ。少し年取ったらツイツイ田舎言葉がデルドモ、ゴメン、ゴメン。アエヅラはいつも、この松の木のあたりで遊んでエダ。トモダヂはエッペェえだどもタッチャンが好ギだたのは、キッチャンだ。
 タッチャンはこの俺様の立っている土地の地主の息子。キッチャンは東京から疎開して 来たんだ。秋になれば、ここを通ってクヌギ林に遊びに行ってわれわれ茸をとるのが楽しみ・・。
 キッチャンは東京から来たから、食えない茸もキレイダなんて言って採ったモンヨ。それをにこにこして選んでやるのが、タッチャンさ。キッチャンはホラ、あのヒカゲウラベニタケをどっさりとった。
 キレイダ、キレイダと言ってな。それも、一番色が綺麗に見える時期にな。ハッハッハッハ。その後はロミオとジュリエットださ。そこまでさ。俺様の知っているのは。ヒカゲウラベニタケの恋心?そんなのは笑い話だ。現実は甘くはない。

 

シワナシオキナタケ

 わたしはシワナシオキナタケです。私は林の中でなくて、タッチャンの家の庭にいて見ていたのよ。この頃は、枯死したウッドチップなんか敷きつめた花壇があるけれど、私はクヌギ林から運ばれてきて、薪にした木くずの中から顔を出して見ていたの。
 タッチャンはキッチャンをとてもカワイイと思っていたみたい。高校生になって、ここは田舎だから、二人とも汽車通学をしていたのよ。もうその頃はタッチャンは面皰。キッチャンは三つ編みの長い髪。道で逢っても、話もしなくなった。もうすぐ来る。もうすぐ来る。今日はもう来ないって言うのが二人の間柄。
 タッチャンの家ではお手伝いさん達が、そんな二人を見て面白がったわ。でもそれは疎開していたキッチャンが東京に帰るまでのこと。お別れはキッチャンよりもタッチャンに辛かった筈よ。
 さよならの代わりに、タッチャンがキッチャンに送った詩を私は見たのよ。
「僕はなんでも思ひだします
僕はなんでも思ひだします
でも、わけて思ひだすことは
わけても思ひ出すことは・・・・・
・・・・いいえ、もうもう云へません
決して、それは、云はないでせう」  
 中原中也の別離から・・・・。
 わたしはねばねばした涙が流れたわ。しばらくの間、立っていたけれどもう脚が弱ってたっていられなかった。判るかしら。この気持ち。

 

タヌキノチャブクロ

 こんな変な名前。私は気に入らないけれど、ホコリタケの種類です。ホコリって言っても誇りじゃなくて、ゴミの埃の方なのよ。嫌んなっちゃう。それでも私はわりと気むずかしいって言われているのです。
場所を選ぶから・・・。
 タッチャンの家の庭の隅の方に、小さなしめった木立があって、朽ち始めた木の根っこのところで生まれたの。
私よりもきれいな名前だと思われているキツネノチャブクロもホコリタケの種類で、親戚なのよ。でも、あの茸は私と気が合わないの。あれは土になってしまった所から直接顔をだすんですもの。
 不意に踏んでしまう人がいて、フワッと言うに言えない匂いをもった胞子を飛ばすのよ。私もそうなんだけれど、私は踏んで貰わなくても自分で迷惑をかけないようにフワッと飛ばすのが好きなの。
 あら、脱線してオシャベリしちゃった。ごめんなさい。タッチャンとキッチャンのお別れは私も見ていたわ。
でも、本当に悲しいのはその後のことよ。高校を卒業して、大学に入って東京に行ったタッチャンだけどキッチャンが、肺結核で療養所に入っていることを知ったそうよ。
 当時は栄養不足の時代だったし、あの混乱期。闇のお米をもって見舞いに行ったときはもうすっかり昔の面影はなかったらしいわ。 
 今度はロメオとジュリエットから不如帰って言うところだわね。その結末は「鳴いて血を吐く不如帰」。
あらごめんなさい。
 ふざけているところじゃないわね。
 序でに言いますけれど、私は美味しいんですよ。煙を吐く前の白い中身はハンペンみたいなの。バカにしないで試して見て! お願いします。

 

ヒイロチャワンダケ

 アラ、私が何にも知らないって思っていらっしゃるの?私はこう見えても、ほら耳の形をしているでしょ?土から直接耳を出してなんでも聞いちゃう・・・。タッチャンとキッチャンのお話?そんなのはもう・・・。涙が出てお話したくない程に知っているわ。
 キッチャンは私のことも好きだったわ。ホントよ。だって私、綺麗なオレンジ色のお化粧が似合うってみんながほめてくれるんですもの。
 そりゃ、短い若い時期なんだけれど・・・。タッチャンがキッチャンをいつも胸をどきどきさせて待っていた林の端の道ばたに顔を出してあの二人を見ていたのよ。
 人生、若いあのころが一番ね。お別れのあの日のことが、一番印象に残っているわ。キッチャンが乗った列車が峠のトンネルに入るまで、タッチャンはここに立っていたんですもの。
 エエ、シワナシオキナタケさんが、ねばねばした涙を流しながら、タッチャンがキッチャンに渡した中原中也の詩のことも・・・・。
 タッチャンが拳を握ってここに立っていたあの日の夕焼けはきれいだったわよ。秋の夕焼けって本当に素敵!別れに似合っていたわよ。その後のこと?私、知らない。このごろ、タヌキノチャブクロさんから胞子が飛んでこないんですもの。
あら、キッチャンがそんな大変な病気だったの?ワカッタ!それでタッチャンが、あの頃うつむいて東京から帰って来ていたのね。かわいそう・・・・。

 

チョウジチチタケ

 年月がたてば、哀しみなんてものは癒えてゆくもんさ。ヒイロチャワンダケには噂が届かなかったからかえって良かったよ。
儂なんぞ、タッチャンの嘆きをみーんな知っていた。東京から帰ってくるといつも、この林を散歩して歩いたもんだから・・・・。
 心の中の呟きが聞くことが出来るのが儂たち茸族の特技だもんな。それに遠い昔、大きく育った儂を採ったキッチャンに、 「ホラ、こうするとミルクが出るよ」なんて言って、傘にキズをつけて見せたり(チョット痛かった)「乾かすともっと良い匂いがするよ」 なんてタッチャンは嬉しそうに話していたのを思い出すよ。
 儂だけではなくて、タッチャンはいつも茸達にキッチャンの思い出を重ねているんだ。今でも・・・。その中でもあのヒカゲウラベニダケの一番きれいなときのうす桃色がさ。色白でふーわりとしたキッチャンの面影を重ねるのにちょうどいいらしい。
 ヒカゲウラベニダケは、そんなこととは思わずに、自分を好いてくれていると思っているみたいだが、まぁ、それはそれでいいだろうさ。

 

アイタケ

 なんで私がアイタケって呼ばれるか知ってますか?藍茸なんですってよ。お化粧好きな私はベニテングタケサンみたいな毒々しいお化粧はしないけれど、生まれたときからきれいな編み目模様があるの。それに美味しいのよ。
 タッチャンがキッチャンが採った私を「これが一番だ」と言ってくれたものよ。それが私の自慢。そんなに沢山は生えないんだけれど、それに命が短いのよ私。美人薄命っていうでしょう。その上、美味しいものだから、虫がつくのよ。
 あら、私のことばかりお話ししてしまったわ。でもね。ヒカゲウラベニダケさんの次くらいに、タッチャンは私をみてキッチャンを思い出していると思うわ。何しろ食べられるんですもの。
 あの人が食べてくれるときには、私精一杯出汁をしぼって美味しく美味しくなって上げたの。わかってちょうだいな。
私の気持・・・・。

 

エノキダケ

 話したりないことってあるでしょ?誰にでも・・・。おしゃべりなアイタケちゃんは、もともとがオシャベリだから、いつも話したりないと思っているみたいよ。
 呆れちゃう・・・。え?私もそうだって言うの?チガウワヨ!慎ましい私をそんな風に言わないで!私はただ、東京での二人のことを知っているだけ・・・。
 私は、小石川生まれ。お店で売られているのとは全く違う顔をしているのよ。古い切り株なんかに生えているの。だから、東京でタッチャンが通っていた学校の近くで育ったの。タッチャンの本当の名前は「山辺達夫」って言うのよ。 あんたがたは知らないでしょ? 
 キッチャンは「川野絹子」。都会に住むと腕白な頃の名前はチョット呼びにくいのよ。 
 達夫さんが思い切って、絹子さんに手紙を書いたのは、日比谷の野外音楽堂での演奏会に行こうっと言うお誘いだったのよ。でも、もうその時には彼女(いいでしょ。この呼び方。東京では、お洒落な人たちはこんな風に言うのよ。)は病気が重くなって、入院中だったのよ。カワイソウニ・・・・。
 その返事は3週間もしてから、達夫さんに届いたわ。

 

アシベニイグチ

 風の便りって言うのか。タッチャンとキッチャンの話がこの松林の奥にいる儂に聞こえて来たのは、随分経ってからのことだった。しっかりと土に立ち上がっている儂の姿は、その赤く太い足ですぐわかる。
 堂々としていてこの姿はりっぱなものだと、自分でも思っているのだが、こうして風の音を聞きながら物思いに更ける姿は、魅力的なはずだ。じゃないかな?ただ、あまりに苦々しいことばかりあるものだから、儂の身体もすっかりそれに染まってしまって、人間様は食べると苦いキノコとして採らなくなった。 
 毒をもっているかどうかなどと聞かれても、儂にはわからない。キノコだから・・・・。
 あの二人の話も、儂の身体を苦くするのに一役買ったようなものよ。タッチャンが逢いに行ったとき、キッチャンは細い手 を伸ばして、枕元の手箱の中から出して見せてくれたものは・・・・。
 それは決まっているだろ。あの日にタッチャンが渡した中原中也の・・・・・。
 アア・・・・。切ない話だな。もうイッパイ苦い酒を飲むことになりそうだ。  

 

フウセンタケ属

 どうして私だけが「属」としてまとめられたのかワカンナイ。差別されるとふくれてしまいたくなりますわよ。 それにあの人は、猛毒だって言っていたけれど、ソリャ、毒のあるのも、意地悪なのもいるわよ。何て言ったってキノコですもの・・・。
 そんなことを言う人を待ちかまえてやっつけることも出来るのよ。性格悪いねなんて言わないでちょうだい。
 毒がなくとも、食べて美味しい性格ではないのよ、私たちは・・・・。
 あら、タッチャンとキッチャンのこと?あの二人、私は嫌いなの。何故って、いつも「このキノコは駄目だよ。キッチャン。」
と言っては、籠の中から捨てられてばかりいたんだもの。とても仲がよくて、好きになろうかなと思った途端に、捨てられてしまう私たちの心を思いやってちょうだいな。
 この林には私だけではなく意地悪するものもいるのよ。あの日、漆にかぶれてしまったキッチャンはおかしかった。笑いすぎてふくれたわ。オロオロしてたタッチャンを、ちょっといい気味だと思ったのよ。
 そんな私を今はちょっと悪かったなと思ってるわ。あの二人。ハッピーエンドじゃなかっんですものね。気の毒に・・・・。

 

シモフリシメジ

 茸生はゆったりとした時間が流れるものじゃよ。山辺達夫君は不幸せではなかった。勿論、川野絹子さんは、まもなく亡くなってしまったので当分は落ち込んでいたがの。ホモサピエンスたちにも美しい記憶はいつまでも美しいのだろうが、それにいつまでもとらわれてはいられないと言う、前向きな生き方をしようとするんだな。 
 大学を卒業して、農業を専攻していた彼はしばらく農林省の方につとめたんだ。そして、当然の様に結婚をして(良子さんと言ういい娘だ)順調にすごしたんだ。幸せだったかって?モチロン。大幸せさ。
 定年に近づくと、故郷の近くの山辺町の農業試験場の場長になることを望んでナ。出世ではなかったが、彼には自分の家を守る必要もあったんだ。
 昔風に長男だからな。息子が二人。もう結婚していて、今は山辺の家に二人暮らし。家のまわりは昔のままさ。松林を一つこえた所にある雑木林が、砂防ダムになるために伐採されるって言うことを除けばな。 
 儂は、喜んで食べて貰えることが生き甲斐なんだよ。無数に胞子を飛ばしてこの記憶はずっと伝わって行くはずだから。
 老いさらばえて、肥やしになるよりも食べて貰いたいといつも思っている。儂は美味だってことで知られているんだ。

 

ウラベニイグチ

 キノコって言う種族は何と無数と言っていい程の種類があるんだ。ホモサピエンスだなんて威張っている人間どもの食い物になるだけが生き甲斐ではあるまい。
 俺様はキノコ族のマフィアの大ボスよ。殺しが生き甲斐!タッチャンだのキッチャンだのってセンチメンタルなうわさ話は、聞きたくもないわい。俺様はドデーンと居座ってやるわい。ジロリ、ジロリとにらみを効かせてやるわい。誰も俺様の傍にはよってくるな。来たものはみんな殺してやる。
 茸情がないなんて言うヤツァ、儂の本当の心がわからない奴だ。儂はウソはつかない。ウソは卑怯者のやることだ。世間のジョウシキが間違っているのさ。儂が正しい。それにしても彼らの純情には呆れたよ。
 中原中也の詩? そんなものを使っての甘い関係なんか、ハッキリしないもんだ。タッチャンも、キッチャンも初めから、儂みたいに真っ正直に心をぶつけ合えば、もっと楽しかったろうにさ・・・。それとも、嫌われてしまったかな?まぁ、どうでもいいこった。

 

カンゾウタケ

 極端なことは、私は嫌いなの。どっちかって言うとシモフリシメジさんに同感。アラ、ウラベニイグチには言わないでね。オオ、コワイ!
 達夫さんも絹子さんも、あれはあれでよかったのよ。ネェ。皆さん。誰だって青春の切ない思い出はあるでしょ?「そんなことはない」なんてウソ言わないで!
 達夫さんのお嫁さんになった良子さんにだって、達夫さんには言えない心の動きがあったんですもの・・・。私は知っているけど、言わない。
 この話を聞いているあなたにだって、確かにあったはずよね。喧嘩したときなんか、「あーあ、あの人と結婚していたら、楽しかっただろうな」なんて、溜息ついていたわよ。私、聞いちゃった。フフフフ。
 まぁ、そんなことは兎も角。今度見つけたら私を食べてみてちょうだい。バラ色のお肉、チョット酸っぱいところが、青春の思い出にも通じるんじゃないかしら?クセはなく、なかなか美味しいキノコだって本には書いてあるわよ。
 調理法は、わたしの身を一口サイズに切ってからちょっと湯掻いてくれるとロゼワインのようにお湯が染まるわよ。あとは水にさらして刺身にしてもよいし、味噌汁に入れたり、大根おろしを添えて酒の肴にしても美味いはずよ。バター炒めは湯掻かないでね。
 アラ、いやだ自慢してしまったわ。はしたない・・・。

 

サクラタケ

 お話はつきることはありませんわよ。茸生は連綿と続く運命にありますもの。
 運命って言えば私の運命は語るも涙。私の一族の分布はホント世界的なのよ。昔はネ。 
 食べられる茸だと思われていたんだけれど、なぜだかテングダケさんたちと同じムスカリンなんて言う毒性分があるって言う研究がされているのよ。中毒なんて言う報告はされていないって言う話だけど、やはり見るだけにしてね。名前がサクラタケなんて素敵な名前なのに、これも運命ね。
 アラアラ、達夫さん達の話を忘れていましたわ。私とイウコトガ・・・。失礼。
 あの絹子さんの入っていた療養所の裏手にあった林に、昔、私はいたもんだから、絹子さんが、まだそんなに悪くない頃に散歩をなさっていたのを見たわ。
 達夫さんとあの人は本当にお似合いだったでしょうね。お元気だったら・・・・。
 疎開から帰ってくるときに貰ったあの詩。覚えていらっしゃるでしょう?もう「何も言へません」っていうの。
 あら、そうじゃなかったかしら?それは絹子さんも同じ思いだったのよ。あの頃の乙女は慎ましかったから運命に従順だったわよ。もうチョットはっきりしていれば良かったのに。
 病気って言う所が違うけれどホラ「君の名は」に似てるじゃない。近い所では「冬のソナタ」?かしら。
 慎ましく秘めている恋っていうのは切ないわね。いろいろ考えると・・・・。
 田舎に暮らしていれば、絹子さんも元気でいられたかも知れないのにネ。運命って言うのはそんなものね。
 少し脱線してしまったかしら。こんなことを言うと良子さんに悪いわね。茸の話だから、中毒しないように聞き流して下さいな。

 

ノボリリュウ

 あら!わたしのこと綺麗だって言ってくださるの?嬉しいわ!わたしは春のキノコなの。桜のさくころにそっとあらわれてお花見をするの。帽子には綺麗な模様ががあって、色はシックなので、貴婦人の容姿だと思っているのよ。
 フランスではモリーユっていわれて、食用にもなるのよ。日本ではなんと田舎くさい名前・アミガサタケなんですって。イヤーネ。茹でこぼして、バター炒めなんかすると美味しいんですってよ。わたしは食べたことがないけれど・・・。当然よね。
秋のキノコさんたちみたいに食べられるとかなんとかでチヤホヤされることがないけれど、これで結構見聞はひろいつもり・・・。
 タッチャンとキッチャンの話は勿論、最初から知っているわよ。あの家の近くの林に育つんですもの。茸生もそうだけれど、あの人達もそれなりにネ。楽しく過ごせたと言うべきじゃないのかしら。美人薄命そのままでキッチャンはホントにかわいそうだったわね。 
 でもね。最期まで愛されていたって言うことを確認できたんですもの。それはそれでヨシとしなけりゃ。美しい思い出、楽しかったことそんなここばかり抱いて死んでいくのもまた良いんじゃないかな。なまじ長生きをして、嘆き、哀しみ、裏切り、憎しみ、悔なんて言うことを溜めないままでいなくなっちゃうのもまたいいかも・・・・。喧嘩なんかもしたことないんでしょ?あの人達。
 わたしのこと?茸生はね、記憶は長く伝えられるけれど、新生のときには全く気持が新しくなっているのよ。本当にしあわせな気分・・・。
 ネ、あなた、今度わたしを見つけたらとびっきり美味しいフランス料理に使って見てちょうだいな。エ?あなたお料理は下手なの? それでは主婦失格ね。ホホホホ・・・・。

 

ヤブレタニダケ

 わたし、ふらんす茸!モダンでしょ?わたしの親戚の「ヤブレベニタケ」って言う方が日本にいるけれど、「ヤブレタニダケ」って言う名前は、多分フランス製だと思うからそんな風に覚えといてちょうだいな。でも、 わたしたちの感じはとてもよく似ているみたいですってよ。オホホホ・・。
 うわさ話は聞いているわ。あの茸「ヤブレベニタケ」、なんでもご自慢なんだけれど、キッチャンとかいう女の子が、あの茸を見つけていっぺんだけキレイネと言ってくれたことを、まだ忘れないんですってよ。その キッチャンって言う子、亡くなっちゃったんですってネ。かわいそうに・・。誰かにまた「キレイダね」と言って貰うのを待っているみたいよ。ヤブレベニタケは・・・・。
 知らないでいる間に時間が過ぎていたわってヤブレベニタケが嘆いていたけれで、忘れるって言うのは、人間にとって幸せのひとつよね。特に悲しいことは時折思い出すだけで充分。思い出の中で、美しい人が微笑んでいるなんていうのは最高よ。
 達夫さんって言ったっけ、あの人にとって秋の山はそんなものだったんでしょうね。でも、ヒカゲウラベニダケみたいな、穏やかな色が好きな人、絹子さんでしたっけ。わたしは見たことがないけれど、多分、素敵な人だったんでしょうね。

 

ウグイスチャチチタケ

 こんな名前のキノコなんか日本では見られないと思うよ。醜男でも、私はフランス育ちさ・・・。 ソルボンヌで学んだし、カルティエ・ラタンでは有名だった。ダンスやゲームでもモテモテだったサ。ニックネームは「 喰えない奴」だよ。みんな焼き餅やきだからな。若い頃がなつかしいかって?日本の何とか言う男のように女々しくはない。現実の甘くないことは知っている。
 私は一応チチタケなんて言う分類に入っているけれど、出すチチは苦い。人生の苦さだよ。苦い体験がぎゅっとつまっているんだから気をつけた方がいいよ。エ?何だって?おまえの相手なんかしていられないって言うのかい。チョット、待って。独りぼっちにしないでおくれ。
 アー、行っちゃった。また孤独の茸生になる。侘びしいな。うわさ話の仲間にも入れて貰えないなんて・・・・。アモーレ。アモーレ。アモーレ。ミオ・・・・。

ウラベニタケ

 日本ではクサミノシカタケって言う名前で通っているようですよ。変な名前ですけれど、ウラベニタケ属に入っているみたい・・・。キノコはまだまだ研究途上で、科だとか属だとかも図鑑によっていろいろ違っていますから。あなたには確定は無理ですよ。
 それに私の説明をしてくれている本はフランス製。田舎者のあなたにはフランス語も読めないでしょ?カワイソウニ・・・。日本で毎年、中毒をおこすのはキノコが一番多いのだそうですよ。食いしん坊はお気をつけ遊ばせ。
 私もあの二人はよくしっています。でも、今はもう古い昔のこと。達夫さんも良子さんも白髪の老夫婦ですよ今は・・・。絹子さんの思い出なんか良子さんのヤキモチの対象とはならないくらいの古い話。
 もう消えはじめているころなのよね。40年?あら、もうそんなに過ぎてしまったのかしら・・・。
 明日から林の伐採が始まるようよ。そしたらもう逢えない茸達もいるかも知れない。私もホントに寂しいわ。今年が最後だななんて、センチメンタルになっていた達夫さんも、昨日林を見に来たみたい。
 ヒカゲウラベニタケさんは私の仲のよい親戚なので、あの思いこみもそろそろ忘れなければいけないわネ。どうせ片思いなんだから・・・・。
 もう、今年の茸達の季節は終わり。林の茸達は今、一生懸命胞子を飛ばして、皆さんとまた会うことが出来る日を願っていると思うわ。忘れないであげてちょうだいな。

********************
 これで、このお話は終わりますけれど、キノコたちはそれぞれの生き方をして、いろいろなことをおしゃべりして、充実した茸生を楽しんでいるのでしょうね。                                                                         

終わり。

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