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私の机

 大家族の中で育ったわたしには、小学校へはいるときも、女学校へ進むときも、新しい机を与えられることはありませんでした。
 父や、叔父たち、叔母たち、そして兄、姉と何代にもわたって使い古された傷だらけの机を、年齢や大きさに応じて譲り受けてならべ、また、それを妹や弟に譲り渡して来たのでした。ですから、ついに自分の机という物をはっきりと持ったことがなかったのです。 
 嫁いで来るときが機会だったかも知れませんが、それは嫁入りの道具の中に入っていませんでした。
 何を書くというのでもなし、何を見るというものでもないのですから、茶の間のテーブルに原稿用紙をひろげ、炬燵の上で本を読んでも何不自由はないのです。
 けれど、夫や子供たちがそれぞれの机に画然とした自分の領域を持っているのを見ると、無性に自分の机が欲しくなったのでした。
 何しろ、結婚してから二十年も経っているのですから、今更嫁入り道具の追加をお願いしますというわけにも行きません。夫に話せば、何と無駄なことをと馬鹿にされそうです。そこで思案の末、机と言わずに机の材料を実家の材木小屋から提供して貰い、近所に住む木工職人に腕をふるって机を造って貰おうと言うことを提案したのです。彼はいま腕をふるうことがないと嘆いていたのです。すんなりと話は運びました。
 これで私の机が手に入ります。
 その職人と一緒に小型トラックで材料を貰いに出かけましたら、あれこれと見ていた職人は、祖父が書見に使っていた離れの違い棚になっていた七十糎ほどの幅で長さ一米二十糎ぐらいの欅板二枚でした。
 明治三十六年生まれの父の記憶によると、その離れは大正十年頃に、自分の持ち山の材木だけを使って建てさせたもので、材料は吟味したものだとのこと。裏門の上に細い階段を登ってはいるようになっている一風変わった離れの部屋でした。
 東と西の窓からは樹の多い庭と、反対側にはひろびろと続く畑や田圃が堤が見渡せるようになっていました。
昔の大家族制度の家長として、煩雑な人間関係の中にいた祖父が、たった一人の部屋として造ったものだと聞いていました。
 私どもの育つ頃は既にそのような切実な意味で使われることはなかったと思うのですが、時折こっそりと登ってみると、整然と片づけられた部屋の棚には何やら難しげなお経の本が並んでおり(祖父は僧ではありません)、若くて亡くなった叔父が南洋の島から持ってきたという眼を剥いた木の人形の一対が珍しい位で、子供の興味をひくようなものは何もありませんでした。
 祖父の昔気質を見せられるようだったと言えるだけでした。
 ただ、松の大木とシオジの大木の間にありましたし、窓を開けると吹き渡る風は心地よくて、祖父が老いてこの離れを使うことがなくなった頃に、高校生になっていた私はうるさい家人の目を逃れ、夏の日の昼寝を楽しむことが出来たのです。
 それは私が嫁ぐことに決まった年でした。季節はずれの激しい大風で、この離れの両側に立っていた松とシオジが倒れたのです。そしてこの離れも煽りをうけてそっと横たわるように倒れてしまったのです。
 そしてこの崩壊に関わりがあるような感じで、その後一ヶ月ほどして離れの主であった祖父が亡くなったのでした。
 そして取り壊した材はそのまま材木小屋に納められていたのでした。そんな因縁のある木ですから、父は一寸惜しそうな顔をしましたが、気づかぬふりをして、
「どれでもいいと言ったから・・・」
 と言いながら、その欅板を二枚強引に貰ってきてしまったのです。
 さてここまではうまく行きましたが。机が私の手に入るまでまた何年もかかりました。職人は興が乗らないと仕事をしないものだと諦めていながら、少々いらだつものです。顔を合わせる度に
「机がなくて今年も芥川賞を貰い損ねた」
 などと冗談を言いながら待つこと三年。やっとできあがったと運び込んで来たのは机面 から脚部までコの字型にすっきりとした、昔ながらの文机です。
 特殊サイズで大きく造られていますが、引き出しは二つ、小さい黒い手作りの金具が着いています。他に何の飾りもないものです。 
 欅のよさを充分に生かしたのだと言う説明で私も充分に満足しました。板を貰ってくるとき、
「少なくとも百三十年位は経った欅の木だ」 
 と父は言いました。しっとりとした机面を撫でながらよく見ますと、木目にもいろいろな表情があります。二
 百年近い昔山奥の自然の中にひそかに発芽し、日を浴び、風雨にうたれ、葉を散らし、雪を被りながら、枝を張り、数知れぬ小鳥たちを休ませ、飛び立たせて過ごしてきた年月が思われます。そして離れで祖父を慰めた数十年。これからも机としてすぎてゆくであろう遙かな年月が思えるのでした。
 出来上がってきたとき七十三歳の父は病床にありましたが、やっと私の机が手に入ったと言う話をすると思い出をかみしめるような表情をしたのでした。
 生まれてはじめて持った自分の机の前に坐って、最初に書いたのはこの机の上に流れた年月の事でした。

 私のものになるまでの長い歴史に私の歴史も加えて、この机が愛されつづけることを祈っているのです。

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